※ご注意
・1984年前後の時代描写があります。SSSSongs28の派生ですが違う世界の方が私の心が安らかです。
・アル→菊(→イヴァン?)
苦手な方はお戻り下さい。
「風船はぜったいだよね」
「そうですね。人に持って貰って五輪を形作るのにも使えますし、放してもきれい。まさに開会式のマストアイテムでしょう」
そしておにぎりのマストアイテムは海苔です。そう言いながらくるりと巻き付ける。どうしてせっかく白くてきれいな表面を黒くて海くさいもので覆っちゃうのか、よく分からない。逆にしたらいいのに。
「やっぱり空には注目を集めたいなあ」
「鳥でもとばしますか」
「うーん・・・それより、人がいいな。宇宙飛行士なんてどうだい?」
逆、と言ったのが通じたのかなんなのか、今度はイチゴみたいな赤い実をオニギリの中に埋め込んだ。だから、そっちが外側の方がよくない?
「なるほど、それは派手ですねえ。Fly me to the moonですか」
「連れてってあげるよ」
「おや」
手を止めた菊に、俺は目を見つめて言う。
「月でも、太陽でも」
アポロ計画は6回の月面着陸を成功させた。宇宙に果ては無いが、宇宙競争の終わりは見えている。スターウォーズ計画も始動した。なんだかんだいっても、最後に俺は勝つ。その宣言の意味でも、フライトマンはいいアイディアだ。
もう開催は来月なんだから演出なんてとっくに決まっているはずだけど、なんとかねじ込めないかな、と考える。
日系アメリカ人なら、既に宇宙船に搭乗している。けれども”日本人”はまだだ。あの奇跡のような光景を、「ブルー・マーブル」を、菊にも見せてあげたい。
くすりと笑って、菊はおにぎりづくりを再開した。
「お天道様に近寄ったりしたら目がつぶれます。でも…そうですねえ、月から地球を見てみたいですね。やっぱり『地球は青かった』って思うんでしょうね」
俺は、一瞬のうちに奥歯を噛んで、笑顔を維持した。
「お足元の悪い中・・・」
俺を出迎えた菊はそう言って細いため息をついた。
開会の挨拶なら「わざわざお越しいただきまして」と続くところだろう、途中で切ったのは嫌みがすぎると判断したためらしい。アポなし訪問なんてもういい加減慣れたと思ったのに――慣れさせたはずなのに。
客用座布団から始めた縄張り拡大ゲームは、今は建物全域に達している。「いつまでも子どもみたいで」と以前は恥ずかしがって見せていなかったアニメやマンガのコレクションも読ませてくれる。もっとも、オオトモやオシノのアニメは「子供向け」の域を遙かに越えていて、俺は当初の目的を忘れて夢中で見てしまう、だから、菊は、俺のことを”おたく”同志扱いしてるんじゃないかと思う。
タンスには俺の服がしまってあるし、洗面所にはミント味の歯磨き粉が置いてある。マンガの真似をして押し入れで昼寝してみたこともある。夕方俺を発見した菊は「本当にあなたはどこでだって自分の家のように・・・」とため息をついた。
どこでだってしている訳じゃない、自分の家でこんな風に計算高くふるまったりしない。そんなことを口にしたら警戒されてしまうだろう。だから反論もせず、口笛でごまかしながら、ただ粛々とゲームを続ける。
「それで、今回はどのくらいお泊まりになるのですか」
「サンゴクシを、出てるところまで読み終わるまで」
「…横山光輝ですよね、演義じゃないですよね」
「当たり前だよ、中国語なんて読まないよ」
「だったら1泊でいいですかね」
「ぶー!」
君と一緒にしないでくれ、と口をとがらしたら、やっと苦笑して、それから菊は言った。
「まじめな話、いつまでいらっしゃる予定ですか?」
「なんで?」
さりげなく、聞き返す。
まじめな話でその日付が知りたい理由はなんだい?そんな風に問いつめてはいけない。
「冷蔵庫の中も心もとないですし・・・」
理由にならない。却下の冷たい響きをみじんも出さずに、俺は笑う。
「なんだい、そんなこと。明日一緒に買い物にいこうよ。ショーユだろうがコメ袋だろうが持ってあげるよ」
菊は煎れてくれたお茶を差し出しながら、にこりと笑った。
「ありがとうございます、助かります。あなた、愛想がいいから、商店街の人気者なんですよ」
縄張り拡大ゲームは、当然ながら両面作戦だ。内から外へ、外から内へ。
ここにいること、菊の隣にいることが誰の目にも「当たり前」になるよう、いつだって考えて動いている。連泊するときは必ず買い物にも出かけている、だから、本当にそれは理由にならない。
だけど、そんなふうには、言わない。
「俺はどこでもヒーローだよ」
「そうですね」
にこり、にこり。
……これは、こちらからカードを切らないと白状しないな。
「一週間くらいいようと思ったんだけど?」
「そう、ですか・・・」
頬に軽く手を当てて、菊は庭の方を向いた。困っているらしい。お茶の表面をふっと吹いて、さりげなくアンカーを打ち込む。
「誰か来る予定だったのかい?俺は気にしないぞ。アーサーなんか、よく鉢合わせするじゃないか」
「ちなみに、お兄さんの方は毎回きちんとアポイントとってくださるんですよ、見習ってください」
「やーなこった」
……「ちなみに」ということは、アーサーじゃない。先約のアーサーとこの家で顔を合わせたことなど何度もあるけど、こんな反応じゃなかった。お茶の苦みが急に増した。
「じゃあ逆?出かけるの?」
「そうといえばそう、逆と言えば逆で…」
手の中の緑茶を回すようにして、まつげを伏せていた菊だったが、やがてぽつんと言った。
「あさって、イヴァンさんがいらっしゃるんです」
茶碗を持つ手に、ぐ、と、力を入れそうになり、あわてて加減する。
「時節柄、家にお招きするのもなんなので、旅館をご用意したんですが」
「へえ」
色のないその声に、菊はちらりと目を上げ、また戻す。
旅館を、ということは、この家にではないまでも、日本に泊まりはするらしい。
「…でも、それこそ時節柄、キャンセルはできないのです。お隣との交友関係は少しでも良好に保ちたいので」
「まあ、そうだよね。ちなみに、俺も君のトナリだよね?」
「あなたは別格でしょう」
その言葉に少し落ち着きを取り戻す。さすがに、それは認識してくれているらしい。
「困ったな。来週のレセプションに出る必要があって、その前ゆっくりしようと思って来たから、こっちのキャンセルもしにくいんだよね。だからといって、この家で三人同席ってのは、ぞっとしないね」
はあ。菊は今度こそため息をついた。
「仲良くしてくださいよ…」
「向こうに言ってくれよ」
菊の家に来るという彼は、今年、うちに来るのをやめたと宣言した。昨年のグレナダ侵攻に抗議する…というのが大義名分でね、と彼は薄紫の瞳を細めて笑った。やられたままにしておくなんてサービス、ないんだ。
東側諸国の一斉ボイコットは、あからさまなまでに、モスクワの報復だ。そんな彼を、菊が、子ども扱いしないのが腹立たしい。
「別に、構わないよ。いっておいでよ」
その日だけ大使館にでも行ってればいいんだろ?そんな風に、大人のふりをしようと思ったら、菊が顔をあげた。
「お留守番してくれるんですか?」
へ?と出そうになった声を危うくとどめる。留守番、とは、そこにとどまってまもることだ。家を。菊の家を。
「……鍵、預けてくれるの?」
「いや、合い鍵持ってるでしょう、貴方」
それは、そうだけど。ねだって、作ってもらったけど。今言ってるのはそういうことじゃない。安全保障と信頼の問題だ。
「ぽちくんをお願いしますね」
菊は”そういうこと”のレベルであるかのようにあっさりと言った。
そうして菊は、出かけるという日、おにぎりを作り始めた。
別に平気だよ、ファーストフードに行けばいいんだし。そう言ったら逆に顔をしかめて、菊は「肥満体型になりますよ」なんて嫌なことを言った。考えないようにしてるのに。
「真面目な話」
「うん」
「貴方がいらしているのに、十分にお持てなしできないのは心苦しいんです」
「へえ」
違うよ、菊。心の中で思う。
君が心苦しく思っているのは、俺より彼を選んでいるこの構図だ。
だけど君は気づいていない。なぜそれが心苦しいのかも分かっていない。
だから、俺は何も言わない。
「それで、『お弁当』を食べられることになったわけだ。マンガでよく出てきてさ、どんなんだろうって思ってたんだよね」
いかにも「わくわく」と言った調子で手元をのぞき込む。定番だという鶏の唐揚げとゆで野菜が既に用意されている。
「マンガに出てくる『お弁当』は、高校生女子の胃袋にあわせたものですから、貴方に足りるわけがありませんよ。このお重の五分の一くらいだと思ってください」
「流石に俺にだって、一食分には多いかなと思うけど」
「残して構いませんよ」
そう言って、君は、心苦しさを少しでも減らそうとする。
そうやって、君は、他の男に会いに行く準備をする。
「……ねえ、開会式のことなんだけどさ」
夕方、出かける間際、菊はちらりと曇天の下の庭を見た。
「まだ6月ですもんね」
「どうしたんだい?」
「いいえ。では、宜しくお願いしますね」
そう言って菊は、迎えの自動車に乗り込んでいった。俺は「気にしてないよ」という顔で手を振る。
本当に、気にしていない。
車を見送って家の中に入った俺は、両手で頬の筋肉を揉んだ。
昨年以来、イヴァンとは極度の緊張状態にある。劇場型の俺の上司は、「悪の帝国」を本気で潰すつもりだ。スターウォーズ計画は、狙い通り、対抗予算による財政逼迫をかの国にもたらしている。そうした強硬路線に、菊はいつものように素直に従っている。俺は揺るぎなく「別格」なのであって、「お隣さんとの友好関係」は、その路線の中で何ができるかという自由度しか持たない。
イヴァンの「家」の崩壊を、菊は嫌がらない。
菊がうっすらと惹かれているのは、彼の「家」じゃないからだ。
それに、気づかせてはいけない。
無重力空間では、液体も浮遊する。シャボン玉のようにふわふわと揺れるジュースを、宇宙飛行士はぱくりと口にする。彼の舌の上で、それは初めて”ジュース”に戻る。
菊の中を漂うそれを、シャボン玉だと、誤解させ続けなければならない。
俺が、イヴァンのことを、「国として」ではなく、「男として」警戒しているなんてことを、悟らせてはいけない。
あくまで外交関係として、俺は君たちの会合を快くは思っていない、けれども、それを許す度量くらい持っているよ――
怪しかった空模様はとうとう崩れ始めた。雨戸を閉めてまわり、エアコンを効かせる。重苦しい空気が少しでも乾くように。
出してくれていたマンガを積み上げて、お重も置いて、畳の上に寝転がる。
菊は基本的に静かだ。だから、こんな静けさには慣れている。
さみしいなんて思うはずがない。彼の気配はそこら中に残っている。
「ぽち」
呼べば、彼の愛犬はすぐに俺のもとにやってきた。添い寝を強制しても素直にくっついてくる。少し設定温度を下げすぎていたらしい。動物の高い体温にほっとする。
彼の家に、一人。この状況は、別格の、破格の信頼によるものだ。その信頼を保つためには、俺はヒーローで居続けなくちゃいけない。やぶ蛇になりかねない「悪の帝国」打破作戦に俺が乗っているのは、「力による平和」という言葉の魔力に酔ったからだ。
強い、明るい、元気な、俺。
そうであり続けなければ、この「別格」さえ失ってしまう。
月面着陸。宇宙ステーション。そらの、先まで、太陽にさえ届くほど、俺は手を伸ばす。
ねえ、菊。見て。俺の輝きを見てくれよ。
――やっぱり『地球は青かった』って思うんでしょうね
菊、それは、彼の言葉だ。
まわした手に力を込めると、小さくきゅわんとぽちは鳴いた。
この気持ちを、伝えられない。
愛とか恋とか、そんなものが国の間に成立する可能性を、悟らせてはいけない。
彼を完全にとらえてしまうまでは。
「菊」
苦しくて苦しくてほとんど痛い胸のうちをかくして、俺は笑顔だけを見せる。
雨戸を閉めるときに視界にうつったひまわりを思い出す。まだつぼみのそれは、太陽を追って首をめぐらしているはずだ。そして来月、オリンピックが開催される頃には、満開の笑顔を見せるのだろう。
――まだ6月ですもんね
開花していたなら手土産に包むつもりだったのだろう、その花は、彼のイメージにはそぐわない。俺にこそ似合う夏の花の、鮮やかな金色を思う。
行儀悪く寝転んだままおにぎりを掴むけど、とがめる声もない。
「おにぎりの外側に、とびこをまぶすってのはどうかな」
思いついて口にするけど、もちろん返事はない。
「これも、おいしいけどさ」
でもやっぱり地味だ。肥満しようがなんだろうが、会場ではばんばんハンバーガーとコーラを売らせよう。開放的な食べ物、刺激的な飲み物、That'sアメリカ!Welcomeアメリカ!
会場には笑顔が溢れるに違いない。モスクワで彼がそうだったように、金メダルの雨が降るはずだ。
金色の残像は瞼の裏にいつまでも残った。