・ツイッターのお題診断、但し他人様の。お書きにならない雰囲気だったので書いちゃいましたすみません。
			・「外科医アルフレッドと余命わずかの菊の切ない触手エロ」。その方は「触手」に突っ込んでらっしゃいましたが私は「エロ」が無理でした。
          苦手な方はお戻り下さい。
 	      
 	      
           
          きんいしゅくせいそくさくこうかしょう、と、彼は口の中で言葉を転がすように言った。そくさく、が分かりませんと言うから「側索」と書いてみせたら、無表情のまま彼は口ごもった。オーケー知ってる、どうせ漢字はへたくそだよ。
            筋萎縮性側索硬化症。筋力低下により死に至る、原因不明・治癒不能の指定難病の告知、だったというのに、彼が作り出す空気はどこかズレていて、湿り気がなかった。
                      それは今も変わらない。
           下肢は既に麻痺して動かない。上肢も筋力低下が始まっている。それなのに彼は夜ごとにつける人工呼吸器を見ながら「触手みたいです」なんて笑う。
            「触手は、オタクの夢ですよね」
            「知らないよ。オタクじゃないし」
            「ああ……でしょうね。このリア充めっっ」
            「何いってんだい、今一番過労死に近いのが外科医なんだぞ」
            「大学病院なんかに勤めるからですよ。ブラックジャックによろしくを読まなかったんですか」
            「ブラックジャックは読んだぞ。で、医者になろうって決めた」
            人を救う人になりたい、と思った。もっと言うと、ヒーローになりたかった。素質もあったし努力もした。評判に見合う実力も、その自負もある。それでも、治療法のない病気の前には無力だ。
            中高年が好発症年齢となるこの病気に成人前の彼がかかった理由も、霧のように溶けていく彼の筋力を――心臓を動かし続ける力をこの世にとどめる方法も、俺は知らない。
            対症療法しかできない俺を、彼は、その意味で責めたりはしない。
            ただ、会話の時間を喜んで、俺をベッド脇の丸椅子につなぎとめようとする。
            栄養を送るためにつけられた点滴と、呼吸筋を楽にするための人工呼吸器。彼に絡みつくそれは、紛れもなく彼を生かすためのものなのに、苦しみの原因のように見えて、時々ひきちぎりたくなる。
            「リアル触手の前に、食パンくわえて『遅刻、遅刻』と言いながら走って角を曲がったら美少女にぶつかって『あんた、ばかぁ?』と言われながら呆然と見送って遅刻したら『転校生を紹介する』って衝撃の出会い☆、を経験したかったです」
            「……あのさ」
            「なんでしょう」
            「前見ずに歩いてたら女の子とぶつかって文句言われた後に引き合わされた、なら、経験ある」
            「なんですって!」
            ぽこぽこと湯気を立てて菊は起こっている。いや、全く羨ましがられるような経験じゃなかったんだけど。
            「変な二つ結びしててさぁ、背を向けられた拍子に顔にあたって痛かった」
            「ついんてーる………!!」
            おーのー!と顔に手を当てて、そのまま、彼は少し黙った。
            「……せんせい」
            「なんだい」
            「私、そんなときめき経験ないです」
            「いや、だから、」
            「恋を、したことがないです」
          返事が、できなかった。
          「ねえ、先生」
            手は、まだ彼の顔にあてられたまま。
            「キスの経験、ください」
            「…」
            「女の子じゃなくていいです。先生でいいです。先生がいいです」
          手をどけると、菊は、笑って見せた。日本人が時々見せる、悲しみの凝縮された微笑み、だった。
          顔を寄せると、菊は自然に目を閉じた。神道の儀式のようにゆっくりと、ゆっくりと、菊に近づいた。長い時間、ただ触れるだけのキスをした。
          唇だけを僅かにはなして、囁くように尋ねた。
            「……なんで、俺が、いいんだい?」
            好きだから、なんて返事は期待していない。毎日見ていたのだから、分かっている。これが一方通行の気持ちだってことくらい。そして、彼を救えない俺には、封じ込めるしかない気持ちだってことくらい。
          「だって、普通の女の子だったら、重いでしょう、あと数年で死ぬ人とのキスなんて。先生は、『先生』だから」
            ほら、ね。俺は目を閉じた。
            もう一度口づけると、菊は泣きたくなるほど弱い力で俺にすがりついた。点滴の管は二人の心臓をしめるかのように巻き付いてきた。