SSSsongs27(フランシス+菊)

 

※ご注意
仏→英→←米←日前提の仏+日話。
苦手な方はお戻り下さい。


 

「………あれ」
フランスは昼下がり。初夏、裏通りのカフェ。木漏れ日が携帯に模様を作る。
肘を突き、かざしたメール画面を下から見上げて、呟いた。
「ひらいてる」

 

 

――アロー、おにいさんだよ。そっちこそ、今何してるの?
返事はやや遅れた。
―――すしつくってます

「この時間に?」
思わず口に出してしまい、カフェオレを運んできたウェイトレスに怪訝な顔をされた。笑いでごまかして、そのやさしい飲み物を口に運ぶ。あたたかさが喉を通り過ぎて行く。

――スシ。いいねえ。自分で食べるの?
―――はい。すきなのばかりつくります
――ツキジで揃えてきたの?
―――いえ、ちかくのさかなやさんで

「ふむ」
背もたれに背を預けて、顎を撫でる。菊が利用する商店街は店じまいも早い。いま日本は深夜のはず、そうすると6時間ほど前には外出して、フランシスも行ったことのある鮮魚店で買い物をしたに違いない。切り身もあっただろう、だけど魚の味にうるさい菊は一匹買ったりもしただろう。気のいい主人は、あの時と同様に、「おもてなしかい?」なんて、おまけをつけてくれたりもしただろう。

菊に連れられてその店をのぞいた、そのときは、四人での食事会だった。刺身風のフランス料理について話していたときに、食に関してだけは引かない菊が「どんな凝ったソースより生醤油の方が美味しい」と言い張って、食べ比べをすることになったのだ。招いたのはアーサーとアルフレッド、明らかに味のテスターとしては不適切な選択のようだが、ニューヨークもロンドンも三つ星レストランは多い。舌を見込まれたと独り合点したのだろう、二人とも勢い込んで菊の家に来た。
まだ水の冷たい季節だった。
料理を比べるのだから作るのは俺と菊、あいつらには任せられないから洗い物も俺と菊(何せ坊ちゃんは、「洗剤をつけて綺麗になったのだから」とすすぎをしなかったりする)。菊は、客が来ている時にしなくてもいいだろうにまな板の除菌までやって時間を見計らい、「アーサーさん、紅茶を淹れてくださいませんか」と声をかける。淹れてくださいも何も、既にお湯は沸かしてあるし茶器も揃えてある。アーサーがやるのは一番見栄えのするサービスの箇所だけだ。それでも確かに誰よりも上手く淹れるアーサーの腕に、口の減らないアルフレッドも「ほんと君も、これだけはね」などと言う。
俺も菊も、料理には腕によりを掛けた。あのアーサーでさえ思わずと言った調子で料理を褒めた、まして素直なアルフレッドは美味い美味いと繰り返し、それに比べて君はさ、などと減らず口を叩いた。小学生のスカートめくりのようだ、と、アルの言動を見るといつも思う。そして小学校には、その辺の機微が分かっていてわざと嫌がってみせる「女」の子、もいれば、本気で嫌がらせをされていると思い込む女の「子」もいる、そのことも思い出す。地味に凹んでいくアーサーに名誉挽回の場を与え、いるだけで和む秘密兵器・こたつで二人きりにさせて、そうして、菊は微笑むのだ。「本当に、アーサーさんの紅茶は最高ですね」

そんな光景を作るために呼んでおきながら、それでも、ただ、それぞれの「うまい」が聞きたくて、俺も菊も料理には本気を出した。シンクで鱗をとっていたら一枚がはねて菊の頬に飛んだ。「まるで涙みたいだ」と言うと、菊は眉尻をさげて、笑った。

 

―――まぐろです。くろまぐろです。ほんまぐろです
――わかった!わかったって!

菊は、悲しいときに、笑う。笑わせようとする。

――おいしい?
―――はい。とてもおいしいです
――醤油は野田?
―――はい。すはかまくらです

それは知らない。酢飯の酢のことか?

――山葵は?

返信が遅れた。
ややあって、一言返ってきた。

―――あずみのです

「安曇野かあ……」
そう言う以上、粉でも練りでもなく、おろしているのだろう。マニアックな台所用品には事欠かない(人のことはあまり言えない)菊の家には、鮫皮の山葵おろし器もちゃんとある。

―――たくさん、いれてます

「……うん」
両肘をつき、目を閉じて、携帯の上の縁で、とんとんと額を叩く。

おもてなしかい?―――いいえ。あのひとは、もう、うちにはこないんです。

 

俺の家をアーサーは、菊の家をアルフレッドは、なぜだか、「勝手に出入りしていい家」と見なしている。確かに拒みはしないが、連絡くらいしろとの文句は言っているつもりなのに。
「あの人達は、言葉を、ウェルニッケ野じゃなくて、聴覚野で理解しますからね」と菊は言ったことがある。要するに、言葉の意味ではなく、その響きを聞き取るということだろう。逆に言えば、そうした響きを乗せてしまっているということだ。喜びを抑えきれずしっぽを振る犬のようで、その自分の浅ましさが、可笑しくも悲しい。
そして、俺の家にアルフレッドは、菊の家にアーサーは、こちらはきちんとアポイントを入れて、だけどどうでもいいような用事で、訪ねてくる。
計算でやっていたわけではないだろう、しかし確かに期待はしていた筈の「友人宅での偶然の邂逅」は、もうしなくてよくなった。直接、逢いに行けばいい。俺と菊の応援は実ったのだ。

 

俺はさあ、視覚野でも理解するよ。――漫画の書き文字を示しながらそう言った。
菊ちゃんのことば、やさしくて好きだな。
そう言うと、「『ん』以外ですか」と笑って返された。多くのフランス人の耳に、その音が若干耳障りなのは確かだ。なぜ「m」ではなく「n」なのだろうと思いはする。
いや、だから、視覚野だって。『ん』の字のライン、セクシーじゃん?

笑いを求めるタイミングは、俺も一緒だ。

パリは気持ちよく晴れている。多分、ドーバーを越えた向こうも。いや、もしかしたら、感極まって泣くのかもしれないが…
笑って欲しい。

何度も見たわけではない、けれども忘れられないあいつの笑顔を思い描いて、少し口角をあげる。
笑って欲しい、俺も微笑みを顔にのせていたい。

「日本は、雨になるのかな」

山葵を言い訳にして、泣けばいい。優しい闇が粉糠のような雨を許してくれればいい。人に気を遣うことばっかりで、優しい言葉しか紡がない、遠い空の下の友人を思う。

と、メール着信音がなった。

―――フランシスさん、宜しければいらっしゃいませんか?

「あれ、戻った」

――今から?
―――ラップかけて、待ってますよ

傷ついているならさりげなく慰めてあげたいと思った。言葉を誰かとつなぎたい気分なら返してあげようと思った。人の前では泣けないなら、一人にしておいてあげようと思った。

―――フランシスさんにも、山葵、あげます

してあげる、してあげる。そう思っていたけど、本当は、

初夏の、
暖かな日差しに包まれて、
昼下がりの美味しいカフェオレを飲みながら

 

俺も、俺こそ、

 

 

せめて、だれかと――――――

 

 

――今、いく ;)


きずだらけのこころはときどき/ひらがなのくさむらにかくします(新川和江)

 



「開く」は編集用語で漢字を仮名にするという意味です。兄ちゃんちの顔文字は横向きです。

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