※ご注意
・米日プチオンリー記念アンソロジー『「ベリベリプリティグッドフェイスラブボウイ!!』様寄稿「Dreaming」とのペアです。
単体でもお読みいただけますが、合わせて読んでいただけるなら是非↑を先にお読みください。
・1953年前後の歴史的事実に関する記述があります。
苦手な方はお戻り下さい。
賀状を取りに門まで出た菊に、式典帰りの小学生たちは礼儀正しく頭を下げた。あけましておめでとうございます、おめでとうございます。お年玉というほどの額ではないが、ほんの少し包んだぽち袋を渡してやると、子供たちはまた帽子を取って頭を下げた。
「戦争を知らない子供たち」が学校にあがる時代になった。この子たちの元旦登校には、勅語奉答の歌はなくなったのだろう。「1月1日」の……一番くらいは歌うのかもしれない。
今年は、主権回復後初めてのお正月、だった。校長先生はどんな訓辞をしたのだろう。
いち、にい、さん…そっと指を折ってみる。ここ数年ずっと、お正月にはあの体の大きなお子様が押しかけてきて雑煮にお節にともてなしに追われた。恐ろしい勢いで餅を消費するアルフレッドに、「のどにつまらせて死ぬ人が百人単位、という食べ物ですからね」と言ってやったら、にゅうんと伸ばした餅をくわえたまま固まった、それで少し溜飲を下げたが、「ちゅうい、する」と宣言してまた消費を再開した。
アラスカをも抱えるくせに、アルフレッドは寒がりだ。
「部屋の中は間違いなく君の家の方が寒いよ」
そういっては掘りごたつに直行し、目を離すと体全体を潜り込ませようとする。
「一酸化炭素中毒になりますから、頭入れちゃだめですよ」
そういうと恨めしげに腰を戻す。褞袍をかけてやると、ほおっと息をつく。確かに、部屋全体を暖かくしようという発想が日本家屋には薄い。夏を主眼に据えた建物は外気の侵入を簡単に許す。日本の暖房は火鉢といい懐炉といい、基本がパーソナルだ。
アルフレッドはコタツに乗せた蜜柑の籠を睨み、肩を出した時の寒さと蜜柑の瑞々しさを秤にかけてうなっている。ため息ひとつ、むいてやると、子供のように目を輝かせては口をあける。すっぱい!と顔をしかめながら、それでも感じる甘さに、また口をあける。餌付けってこういうことを言うのだろうかと房を与える度に菊は思ったものだ。
菊は、あいつを甘やかしすぎだよと、世界会議で会う度にフェリシアーノは「ヴェー」よりは「ブ−」に近い音をたてる。確かに、何をされても拒まない、都合のいい存在になっている自覚はある。答えようが無く、薄く微笑むしかない。占領下なら「だって仕方がないじゃないですか」と言えただろう。今でも彼は、抜きはしないが強権という刀を携えている。とはいえ、明らかに政治性をもたないアルフレッドの振る舞いを――子供が母親にまとわりつくような仕草を――穿った見方をするなら、独占欲の強い恋人のような挙措を――許す理由は、政治には求められない。自分が、自分の心が、それを許している。それが分かるから、苦笑しかできない。
おろしたての下駄は石畳に澄んだ音を立てる。埒のない考えをカンという音で消して、菊は部屋に戻った。
一人の部屋、一人の正月が嬉しくないわけはない。あれこれと指図されることもなく、向こうの都合で振り回されることもない。もちろんアルフレッドがただ首輪を手放す訳もなく、国民の4割が「半占領継続」と感じるような状態が残されたのだけれども、それでも束縛から解放された気にはなる。
それなのに。蜜柑をむきながらちらりとこたつの隣の辺を見る。「不在」を意識してしまうのは、「存在」が当たり前になってしまったからだ。
困ったものだ、と菊は思う。実に困ったものだ。
正しくない、とも思う。
いつからだろう、この体に酷い傷を与え、傲慢とも言える態度で支配を行った彼……その強引な振る舞いが、まるで自分への執着のように錯覚し始めたのは。そして、それにほろ酔いのような感覚を覚え始めたのは。
この思いは、正しくない。少なくとも、申し訳が立たない。あの五年間に死んだたくさんの人に対して。
菊の意志によるでもなく、1945年、その顔は能面のように固まった。どうにも顔の筋肉が自由にならない。戦争は終わったのだから別に笑ってもいいと思う、思うのに、笑えない。怒る…のは、差し障りはあるだろうが、そうすべき時もある筈だ。噂に依ればアルフレッドの上司を一喝したという外務省顧問、には、卑屈な態度をとるべきではないとさんざん言われている。耳が痛いと顔を背ける菊の頬を両手でとらまえて、彼は言うのだ。我々は――貴方は、戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない。
彼の目力は、彼が学んだオックスフォードを、その国を思い起こさせる。栄光ある孤立、そんな台詞が似合うのは世は広くとも一人アーサーしかいなかった。彼ならたとえ戦に敗れ頭を地につけさせられたとしても、その目の力を失うことはないだろう。頭を踏みにじる靴に阿ることもまたないだろう。
そしてその弟たるアルフレッド――敗戦という文字を辞書に持たない彼は、菊の複雑な心境を理解できないに違いない。だから、すれ違いが積み重なっていく。だあれだ、とふざけて目を隠してきた手を思わず振り払ったのは、接触が嫌だったからではない、戦後直後の失明状態の恐怖がよみがえったからだ。その後頭を下げたのは、アルフレッドの不興が怖かったからではない、児戯に対するというには強すぎる拒絶が自分の心情と合わなかったからだ。傷ついた顔を隠そうとしないアルフレッドに更に頭を下げればまた眉が下がった。硝子を一枚間に置いたような対応をとっているのは自分だけれども、やることなすことかみ合わないのが、少々、辛い。
さて、と。
積み上がった蜜柑の皮を盆に載せて、立ち上がる。盆、を見るだけでアルフレッドを思い出してしまう自分が、これまた少々、辛い。
八百屋の蜜柑が大きくなっていくと冬も終わる気がする。皮の厚い橙が主流になっていくのだ。それはそれで味わいがあるが、菊は薄皮の甘酸っぱい蜜柑が好きだ。菓子盆のそれは後数個だが、箱にはまだ四分の一ほど残っていたはずだ。あのお子様が来ないと減りが遅い。米だってこの前突いて精米したものがまだ残っている。
アルフレッドはよく料理を作らせる。あるとき、ホットドッグが食べたいと言われたがソーセージが手に入らず、戦時食でみがいた代用の技とかつての成功例:肉じゃがの自信をもとに魚肉ソーセージで魔改造したら、次から食材を持ってきてくれるようになった。この人に料理でダメだしされようとは…と、実に複雑だったが、食材はやはり嬉しい。基本的に米と魚さえあれば生きていけると思ってはいるが、漫画『ブロンディ』のような大きなサンドイッチを食べてもみたい。ニクにウマイと書いて脂、やはり脂質は舌に喜びをもたらすのだ。そして、どう考えても舌の作りと育ちが違う筈のアルフレッドが、けれども菊の料理を夢中になって頬張る様も、菊に密かな喜びを与える。顔には出さない…いや、出ない、のだが。
喜ぶ人がいれば作り甲斐がある、というのは普遍的真理に違いない。もっとも、出汁あたりに凝ってもそれを理解してくれる舌ではない。そこは割切って、たとえば米軍放出品のレーションを参考に洋麺をケチャップで炒めて出したら、唇を全部橙色に染めるほど勢いよく食べていた。これはなんて料理だい?なんて明るい瞳で尋ねるから、スパゲッティ・ナポリタンって言うんですよと出鱈目を言ったらそうなのか、と納得していた。今更嘘ですとも言えない、もうそれで通そうと思う。
「あれでも作りますか…」
それこそ魚肉ソーセージでも入れれば立派に昼食になる。そう思うけれども、寒い台所に立つ気力が出てこない。自分一人のために料理して、盛りつけて、皿を洗って――ああ、そうだ、アルフレッドは、それこそ『ブロンディ』の夫のようによく皿洗いをやってくれる。いや、任せきりにはできないので濯ぎは絶対に菊が行うが、泡を盛大にたたせてじゃぶじゃぶとやるのが楽しいようで、洗う方は自分からやりにくる。一足先にコタツに戻って菊を待ち、冷たい水にさらされて冷えた菊の手を暖まった手で握ったりする。いつもは少々申し訳なく感じている顔面神経の不随意がこの時ばかりは有り難い。冬はしもやけになるもの、と思っていた。膨れるだけにとどまらず、割れてじくじくとうむものだった、あそこまでの痛みからはここ数年遠ざかっている。
彼の手は大きい。指が長く、爪の形がすらりと美しい。そんなこと、知らなかった。こうなる前、彼の手はいつも手袋に包まれていて、いつも銃を握っていた。――最後は銃口をこちらに向けてさえいた。まして、その手の暖かさなど、知るよしもなかった。――ほんの一瞬、小指が触れた、あのテーブルターニングの思い出のほかには。
ふる、とかぶりをふった。考えても仕方がない。今考えるべきは、……ぐうとなったこの腹の処遇だ。
「豆…まだ残ってましたっけ……」
いつの間にか節分も過ぎた。年の数だけ食べる、なんてことはもう無理だ。でもあの素朴な味わいが好きで、毎年福豆は大量に買っておく。そうしてゆっくりと消費していくのだ。春立てる霞の空…と呟きながら何となく日めくりを見、菊は思わず「あ」と呟いた。
暦の上に、春が来ていた。
カラリ、と戸をあけたところでぶつかりそうになり、互いに少しのけぞった。
「なんだい菊、出かけるのかい?」
「アルフレッドさん……」
「今日は、ゆっくりしているんじゃないかと思って来たんだけどな」
はて、今日、とな。小首をかしげると、アルフレッドはも逆側に首を傾けた。
「キューショーガツじゃなかった?」
「そう、ですけど…」
たった今知ったのだけど。新暦で社会が動き始めてもう100年近い。海をまたいだ西の隣人たちは今もこの日の方を大切にするが、菊にとって正月と言えば太陽暦の1月1日だ。ただ、占領中、一日だらだらする言い訳に、そして餅をつく言い訳に旧正月を持ち出してはいた。冬の乾燥の中で作るといいかきもちが作れるのだ。
「オショーガツ行かなかったから、オモチ食べに来たのに」
「ああ、いらっしゃいませんでしたね」
その餅を買いに行くところだと言うと、アルフレッドはくるりときびすを返した。買い物に付き合うらしい。
「………お忙しかったんですか?」
我ながら平坦な声だ。アルフレッドはそれにではなく話題に顔をしかめた。
「ちょっとだけ、アーサーの気持ちが分かったんだ」
いきなり飛び出してきた旧友の名前に戸惑っていると、アルフレッドは肩をすくめた。
「そりゃあ、笑顔でインデペンデンスディには来ちゃくれないよね」
「……」
なんだそれは。独立を喜ぶ様を見たくなかったということか。そんなことを言われても――困る。20世紀にもなって新植民地獲得もないだろうと言い出したのは欧米列強の方で、そのレジュームについて行けなかった菊を正義の名で叩きもしたではないか。「夢追い人」とも言うべき理想主義者を交えた総司令部は、だから、最初から菊を「奴隷」にしないことを明言していた。大勢を占めたのは現実主義者だったから、「自分から従う分にはかまわないけどね」と笑顔ですごみもしていたが。
後者との取引の結果、主権回復は様々なものと引き替えになり、だから今年の正月に独立を祝う気分は薄かった。しかしそんなことをアルフレッドに言うのもおかしな気がする。人の気分と国の気分は重なりつつ、少しずれる。アルフレッドの今の台詞も、政治家の用語に置き換えて理解すると「アルフレッドの心持ち」とはずれてしまうのだろう。菊の抱える複雑さも、言葉に出してしまうとその端から嘘になってしまう気がする。
「……」
黙って横を歩くアルフレッドに、何か言わなければならない気になった。言葉を探しながら手に息を吐きかける。
「でも、いらっしゃるんでしょう、アーサーさん」
「うん……やっとね。そう、なった。そうなるまで、毎年出し続けたんだよ?招待状」
そうだったのか。見上げると、少し口をとがらせたままのアルフレッドがぐいと菊の手をとって、自分のコートのポケットに突っ込んだ。なんだかなあ、と菊は空いた方の手で額をかく。正直、歩きにくい。手はとらわれて自由がきかない。困る。それなのに――そのとらわれた手が、熱い。
自分から手をふり払って、自由を勝ち取って。それでも…つながりを求めて。拒否される苦しさに耐えて、自分のしたことの意味を受け止めて、彼は何年、アーサーに呼びかけたのだろう。自分は、アルフレッドに、そうはしなかった。グリーティングカードを25日に送りはしたが、正月に来いと書いたりはしなかった。来るなら来ればいい、拒みはしない。そんな態度しかとれなくて、そのくせ……来なければ「不在」をいつまでも感じてしまう。
そんなことを考えていると顔に書いてあった訳でもあるまいに、アルフレッドは「あ」と声をあげた。
「クリスマスカードありがとう」
「いえ」
12月25日は先帝崩御日で長く休日だったから、戦争の前からクリスマスにケーキを食べる習慣が都市中産階級には普及していた。食べ物とセットになった行事は馴染みやすい。イースターも卵料理を工夫すればよかったのにと勝手なことを考える。
「君、今、食べ物のこと考えているだろう」
いきなり顔をのぞき込まれて思わず固まる。
「いいえ?」
薄く笑って答えるとアルフレッドは肩をすくめた。
「あのね、君は本当に例外的に、食べ物を前にした時だけはガードがゆるゆるなんだよ」
そうなのだろうか。ふと、聞いた話を思い出す。転宗を迫る代官たちの拷問にも耐えた長崎のキリシタンたちにも棄教させたのが、絶食だったという。食べ物のためなら敵意をも忘れられる、そして逆に、食べ物のためなら敵意を抱くこともできる。例えば、米を、魚を取り上げられたなら、私の能面も崩れるかもしれない。ううむ、そうなのかも。
「あ、ねえ、ちょっと待って」
待ってと言ったくせに手を離さないからつながれたまま、菊はよろずやの店先につれていかれた。アルフレッドはジーンズのポケットから小銭を出して、菓子を買っているようだ。なんだろう、と思っていたら、空いた手にそれを渡された。
「不二家の、ハートチョコレート、ですか」
「うん」
――いや、Yes・Noで答えられる質問をしたわけじゃない。
「何ですか、これ」
「あげる」
まだ質問と答えがかみ合わない。
「…どうして?」
「今日もね、キリスト教の祝日なんだよ」
「ああ……そうなんでしたっけ……」
何度も言うが、食べ物とセットになっていない西洋の行事はあまり普及していないのだ。
「チョコレートをあげる日、なんですか?」
アルフレッドは眉をあげた。この顔は、悪巧みの顔だ。
「そうだよ?」
「誰に?」
「そりゃあ、好きな人に、に決まってるじゃないか!」
どこから嘘なのか分からない。
「……と言って、チョコレート売ったら、流行るんじゃない?」
ほら、こんなことを言う。嘘だと言っているようなものではないか。
「……頂けません。頂く理由がないですから」
未練を押し隠して突き返せば、やんわりと押し戻された。
「いいじゃないか、オショーガツなんだからオトシダマ」
お年玉は、子供からもらうものではない。
「たまたまでしょう。そちらの祝日は太陽暦の月日固定なんでしょうが、旧暦の元旦は新暦で言うと毎年変わるんですからね」
「知ってるんだぞ。調べなきゃ今日がオショーガツだなんて知らないよ。換算計算もできない、結果が全てって言うんだから」
「原則的には19年で反復する筈ですが…観測によって補正を入れるので」
19年先を見るような顔をしていたアルフレッドだったが、やがて首を振った。
「分からないな!」
「太陽暦と太陰太陽暦は全く違うシステムですからね」
合理を愛するアルフレッドには、それはもどかしいに違いない。そう思って顔をみたが、存外面白そうな顔をしている。
「……」
顔を見続けていたらアルフレッドはにこりと笑った。
「計算してもさっぱり分からないのなんて、慣れてる、君で」
「……」
分かろうとしていたのか、とか、でもやっぱり結局諦めたのか、とか、いろいろな言葉が菊の胸を舞った。けれども、言葉にはならない。
「でも、分かってることもある。次、バレンタインデーと旧正月が重なる日にも、絶対俺は君にチョコレートをあげるよ」
「そんなの、分からないじゃないですか」
なんだって起こりうる。第三次世界大戦の可能性だってある。海を越えて戦争に行く気はさらさらないが、万が一の事態には日本列島全体が前線になることは間違いない。控えめにいっても”ぼろぼろ”の次兄のことをちらりと思う。自分も、今度こそ死ぬかもしれない。そこまでのことがなくても―――アルフレッドがこんな風に菊にかまうことなんて、明日にでもなくなっても不思議はない。
「いや、分かるね。だって、自分の気持ち以上に確かなものはないんだからね!」
「……」
家に帰ったら、バレンタインデーとやらがどんな日なのかきちんと調べなくては、と菊は思った。このままだと、誤解してしまう。誤解したまま、広めてしまう。何せ、人の気分と国の気分は重なりつつ少しずれるものだから………こんな、しもやけのかゆさにも似た甘酸っぱい気持ちのままで菊がこの日を記憶したら、「正しくない」行事になってしまうに違いない。まして、セットになるのはほろ苦くも甘い、チョコレートなのだ。
「私には、自分の気持ち以上に不確かなものはありません」
菊はそう言った。意味が伝わっていないだろうなと思う。伝える気もない。動かない表情筋の下で、駆け出したいようなうずくまりたいような気持ちになっていることなど。わずか数年前まで憎んでいた筈の相手なのに、どうしてこうももどかしい気持ちになるのだろう。だいたい、……どうしてあんなに憎んだ気になれていたんだろう。あの戦争中でさえ、テーブルターニングの思い出を捨てられなかったくせに。
「そうなのかい?」
「ええ。遺憾ながら」
川沿いの道をならんで歩くと白い息が後ろに流れる。手の熱さと顔の寒さ、その温度差が大きすぎる。好きになってはいけないと思うのに、どうしてこんな風に揺れてしまうのだろう。
「……かき餅、買って帰りましょう。おこたが待ってます」
「うん」
さらさらと水の流れる音がする。春の小川、と言うにはまだ風は冷たいが、水の下では既に生き物たちが胎動を始めている。時代は変わっていき、いつか、氷もとける。私の、意のままにならない顔面にも、いつか笑みが戻るかもしれない。東洋では、年は「進む」のではなく「改まる」。そして春節、一月一日に春を迎えるのだ。
いつかの正月、私たちは形を変えて向き合うかもしれない。言葉通り対等な国として。そして、過去を忘れはしないまでも、それにとらわれない国として。私が今感じる「正しくない」という感じは、そのときにはもう蒸発しているだろう。……そんな未来を夢見ることくらい、許される筈だ。
その日には。菊は袖の中に入れたチョコレートをそっと握る。
どれくらい先のことか分からないけど、次に旧正月とバレンタインが重なったなら、私からチョコレートを渡してみよう。どうしたんだい、これ?と言われたら、おや、好きな人にチョコレートをあげる日ではなかったですかとでも言ってみよう。きっとバレンタインの意味は違うだろうから、アルフレッドは返事に窮するに違いない。そんな埒もない空想をして、菊はひっそり笑った。
1953年の次に聖バレンタインデーに春節が重なるのは2010年、その近くて遠い未来まで、ゆっくり、雪が解けていく。