SSSsongs23(アル菊アサ)

 

※ご注意
・アル×菊←アサ(+フラ)@大学生パラレル。アル・アサは留学生じゃなくて在住外国人子弟(兄弟)という設定。
・読みにくい文体を目指したら本当に読みにくい。
苦手な方はお戻り下さい。


 

のどがやけに渇いていた。枕代わりの左腕から首だけを起こし、こたつ越しに向こうを見るが、対面にいるはずのアルフレッドも隣の辺を占有しているはずのフランシスも見えない。ただすうすうという寝息が二人の存在を伝えてくる。

 

12月25日を卒論の提出締め切りに指定したのはどこの誰だとフランシスが悪態をついたのは、その二週間前。俺からアムールを取り上げる気かと吠えるのを、俺は関係ねぇけどもうできたしと受け流したら、一度完成した卒論データをHDDクラッシュで消失させたという菊ががしりと腕を掴んだ。校正だけでいいので手伝ってください。内容は覚えているんです日本語でなら書けるんです、英語なんて!英語なんて!!南セントレアに行ってやるう!追い詰められているらしい菊は、錯乱としか言いようのない狼狽を見せた。アルフレッドに頼めばいいだろうと、誰もが納得するはずの正論を言ったが、菊は渋い顔をした。弟さんは、その、あまり…文法やスペリングに厳密でなくて。それの校正をこそ頼みたいのだから不適格ということだろう。仕方ないなと首をすくめ、数日菊の部屋に詰めた。
出迎えるのはいつもアルフレッド。菊の部屋に俺以外の男が来るなんてむかつくんだぞ、まあ君だから許すけどなんて言いながら口をとがらせる。戦闘状態の菊は学校で見るたおやかな姿とは違い、前髪もピンでとめて服もだっせえジャージ。初日はそんな菊に思わず言葉を失ったが、アルフレッドは見慣れているのだろう何でもない様子、何でアーサーなのさ、俺だってできるのにとふくれてコタツに潜り込む。菊はノート型パソコンから目を離さず、だって貴方専攻が違うんですから、グラフの確認もできないでしょうなんていなしている。菊の隣の辺に陣取り、打ち出されていたプリントアウトの束を手に取ると、菊はよろしくお願いしますと軽くお辞儀をして、また打ち込みに戻った。ぶーぶーと頬をふくらませて、それからアルフレッドは不意と席を立ち、しばらくしてカップを三つとコーヒーサーバーを手に戻ってきた。君も飲むだろ。驚いて、ああとだけ答え、カップを受け取る。アルフレッドは、カップの一つを菊の手元に置き、はいと言った。ありがとうございます、菊はついと首を伸ばしてアルフレッドに軽く口づけた。がたん、思わずテーブルにおいたカップの音が二人を振り返らせた。俺の存在を思い出したらしい菊はひやあああと声を飲み込み、顔の前で腕を振った。すみません!すみませんオニイサン!私ったら、つい、いつものように…!真っ赤な菊に、こちらもつい顔を赤くして手を振る。いや、俺のことは気にするな、そう言うと、アルフレッドが肩をすくめた。そうだぞ菊。いつものことなんだから恥ずかしがることないじゃないか!そしてサーバーを流しに置きに行き、後は俺の対面に陣取り、しかし背を向けて、腹ばいに寝そべってDSを操る。俺と菊は若干赤い顔のままそれぞれの作業に戻った。
家では縦の物を横にもしないアルフレッドが、当たり前のようにコーヒーを入れ、菊の代わりにというつもりだろう、俺にも振る舞う。いつの間にか、アルフレッドはこの部屋で、大人になったのだ。わがまま王子と万事引きがちの堅物は少しずつ歩み寄り、柔らかなつきあいの形を作り出したのだろう。広いなだらかな道ではないだろう、彼らの行く手にあるのは。それでも、兄として、友人として、この二人の恋愛に反対する理由はない。理由は、ない。
弟が、あろうことか男に、それも俺の同級生に一目惚れし、告白、当然玉砕するかと思ったのに何がどうなったのかつきあい始めた、それが二年前。一緒に暮らしてはいるものの干渉をいやがるアルフレッドが菊とどういうつきあいをしているかなんて全然知らない。菊のアパートが大好きだからと入り浸り、うちに連れてきたこともない。大学生でアパートで…となればそりゃあやることやってんだろうと思いつつ、同級生としての菊は性のにおいを全くさせない、いささか過ぎるくらいのまじめな学生で、…だからさきほどの映像はなかなか衝撃的だった。脳のメインドライブで実験結果の数字を照合していても、パーティションを切られた残り半分の脳裏にさきほどの菊の言動がよみがえる。自然、だった。当たり前のように、菊はアルフレッドに口づけていた。「いつものように」と言いもした。そういう約束になっているんだろう。おそらくは、そういう約束をアルフレッドが取り付けたんだろう。「おにいさん」と言いもした。お義兄さん。つまり、俺は、「友達」であるより前に、「恋人の兄」なのだ。

――ねえ、アーサーさん知ってます?
菊はいつも、あの真っ黒い目を大きく開いてこちらを見る。
――リーマン予想の、零点分布。
――ああ、ゼータ関数の。ランダムに現れる素数が、それなのに、1から始まるNのS乗分の1として無限に足していくとき…
――その零点Sは一線上に並ぶ、しかも、その零点分布の数式は、
――原子核のエネルギー間隔を表す式と一致する!
――ええ。

前置詞のミスをいくつか直したところで足を崩した。アルフレッドの伸ばした足に膝があたる。こたつ空間を対角線上に区切るアルフレッドに全く遠慮がないやつだと苦笑しようとして、気がついた。この足は、壁だ。俺の足が、あぐらでもかいているのだろう菊の足に触れあうことがないよう遮っている。まさか、考えすぎだ、と思い直した。アルフレッドが、俺の気持ちを知っているはずはない。自覚したのは二人がつきあい始めてからだったし、自覚した後はだから強引に封じ込めてきた。くそ生意気で兄を兄とも思わないやつだが、そりゃあ幸せでいてほしい。そして、恋って食べられますかとでも言いそうだった堅物が幸せなのならその心の安定を壊したくない。ただでさえ、大学の四年と下級生なんて、分かれやすい間柄なのだ。就職活動に卒論とすれ違いが続き、立場の差がたった数年の年の差を大きく見せる。まして「学生と社会人」にでもなったりしたなら。とくん、と心臓がなり、慌てて首を振った。今―――何か、沼のような考えにひきずられそうな気がした。菊とは内定先の会社が近い。同業であるだけじゃなく、会社も数駅の差だ。それを知ったときには、ただつながりを保てて嬉しいと思ったはずなのに。「恋人同士ともう一人」が「学生と社会人」に。2:1が1:2に――。
視線を感じて顔を上げると、アルフレッドが肘をついて半身を起こし、こちらを見ていた。なんだよ。声には出さずに聞くと、アルフレッドもプリントの束に目をやるだけで返事してきた。別に。さっさとやりなよ。そして帰りなよ、か。分かってるさ、と、ペンを持ち直してコーヒーを飲む。やっぱり、そうだ。アルフレッドは独占欲が強い。菊との空間に上がり込んできた俺が邪魔者に見えるのだろう。膝と膝とが触れあうことも許せないのだろう。もしかしたら、本当に気づいているのかもしれない。そんな偶然をどこかで望みつつこたつに入ったことに。お邪魔しますと靴を脱ぎながら、菊の生活のにおいを思わず探してしまったことに。来訪時刻ぴったりに来たのだから、手が離せない菊の代わりにアルフレッドが出迎えたのも不思議はない。けれども、もしかしたらそれも、アルフレッドの縄張り宣言だったのかもしれない。
だから、そんな気はないって。アルフレッドに言い聞かせるかのように心中で呟いて、アーサーは肩をすくめた。仲のいい友達で、弟の恋人。そのラベルを貼り替えるつもりはない。いくら新しいラベルに魅力があっても、今のそれを引きはがす痛みを考えれば。

――ねえ、アーサーさん。清浄で無機的な数学の世界に散らばる素数が、この豊饒の世界のエネルギーとつながることが分かったのは、学者二人がカフェで雑談をしたからなんですよ。…そんなに、根を詰めないで。

あの微笑みに感じた気持ちを、愛と呼べばいいことに気がつかなかった、その時点でもう、そのラベルは千切れていたのだ。

まっすぐに自分の気持ちを表したアルフレッドと、それを受け止めた菊。二人の瞳は俺のそれに比べてあきらかに澄んでいる。


一心不乱にキーを叩く菊を横目で見て、またプリントの山に戻る。学校の課題もないのか、長いこと無音の電子機器と向かい合っていたアルフレッドは、数時間後またおき上がった。どうする、菊。俺、ラーメンくらいなら作るけど。言われてみればもう夕飯時だ。あ、じゃあ俺が、と言いかけたところで素早くそれはいらない、と返された。すみません、アーサーさん。わざわざ来ていただいたのにおもてなしもできないなんて……卒論終わったらお礼にご飯作りますんで。画面の見過ぎでドライアイになりかけているのだろう、しぱしぱと目を瞬いて、菊は心底申し訳なさそうに頭を下げた。思わず、ちらりとアルフレッドを見る。「それ」をやつはどう思うだろう。思わずそう考えてしまった。その目線を感じたのか感じていないのか、アルフレッドはまたぶううと頬を膨らませた。ずるいよ菊、アーサーにばっかり。俺だって菊のご飯食べたくて、でもずっと我慢してるんだぞ。かわいいわがままを言う幼子を見るような目で菊はにこりと笑い、ええ、じゃあ終わったらみんなで打ち上げしましょうね、張り切って作りますから、なんて答えた。

 

―――その計画を、菊と同じくふらふらになって当日提出したフランシスが聞きつけ、俺も俺も俺も!とわめきちらした結果。提出の締め切りは正午、その後の午後一杯を二人は鬱憤を晴らすかのように料理に費やし、それはそれは豪華な料理がこたつにのりきれないほどに用意された。持ち込んだ洋酒の瓶、正確にはその数を見て菊は一瞬黙ったが、次の瞬間には苦笑して、言った。OK、OK。今日は、どれだけ酔っぱらってもいいってことにしましょう。うちにはこたつしかありませんがそれでよければお泊めします。お礼ですから。ゼミでの飲み会のたびに酒に潰され、フランシスと菊とに交互に迷惑をかけてきた自覚もあって、小さな声で、や、今日は大丈夫だと思う…と全く信憑性のないことを言った。料理の第一陣をこたつに並べ始めたフランシスは、俺の方が大丈夫じゃないかもな、と笑った。完徹二日、即行撃沈しちまうかも。だったら家で寝てろよくそひげ、と思い、言いもしたが、気持ちは分からないでもない。日本において、クリスマスイブの持つ意味は尋常じゃない。これを期に恋愛のステージをあげる恋人たちが多い中、それをフイにされた…自業自得と言えばそれまでなのだが…フランシスは、なんかの形で埋め合わせをしたいのだろう。そして予告通り、フランシスはテンション高く盛り上がり、隣に座ったアルフレッドにおもしろがってどんどん飲ませ、二人して輪郭をぐずぐずにしていった。まだ2割ほどの食べ物と5割ほどの酒が残っている状態で、菊はいきなり立ち上がった。危険です、私…!寝るかもしれません。ので、毛布を配給します。最後まで意識のあった人は、落ちる前にその最後の一仕事で電気を消してください!そう言って、押し入れから毛布を出してフランシスに渡し、夏用の羽布団を出してこちらに寄越し、最後にベッドから毛布らしきものをひっぺがして、自分用にとり、またアルフレッドに渡した。こたつの設定を弱にし、キャンプのようにそれにまるまりながらまだまだ宴会は続き、やがて、落ちた。
最後まで意識を保っていたのはやはり菊だったのだろうか。料理の皿にはラップがかけられ、こたつの中央には2リットルのミネラルウォーター。四辺にはそれぞれ新しいコップがおかれてもいる。飲み会のあと、ましてこたつで寝た後、のどが渇くのを見越してのことだろう。ありがたくその水を飲む。誰も起きない。フランシスはほとんどこたつからはみ出しているが、毛布は厚手だから風邪も引かずにすむだろう。アルフレッドは相変わらず大胆に足を伸ばしてこたつの大半を占有している。男四人でこたつはなあ、と苦笑し、また薄い布団にくるまって、横向きに倒れた。アルフレッドの足に邪魔されず、なんとかこたつに入っている部分を大きくしようと考えたのだ。そうして、こたつの辺に平行に倒れ込んで、ぎょっとする。おそらく同じような考えからだろう、菊も斜めに体を横たえており、―――つまりは、目と鼻の先に菊の顔があった。すう、すうと寝息が聞こえる。その呼気が感じられるほどの近さ。
菊もまた毛布を体の下に敷き込んでいた。この毛布は、菊を毎晩包むもの。そして、二人の汗を吸ったものだ。
弟の恋人。
弟の、恋人。
繰り返しても、そこにある空気を吸い込みたい気持ちが止められない。
今、まさに体が触れるほど近くに、その弟がいるのに。
だけどその彼とを隔てるわずか数十センチの高さのこたつが、彼の視界から二人を隔てている。見えない、きっと。
長い時間、そのまま静かに上下する肩を、それによって揺れるまつげを眺めていた。
布団から出ている肩にそれをかけてやる、ふりをして、その肩にそっと手を置く。思いがけず、その肩はぴくりと震えた。――起きていたのだ。気づいていたのだ。それなのに――菊は動かない。
校正のために通った数日間、アルフレッドは菊の邪魔をするようなことはせず、いやむしろかいがいしいと言ってもいいほどに菊をサポートしていたのだが、眠くなるところんと横に転がって菊の腰に手を回した。しがみつくような体勢で寝るアルフレッドに菊は頬を赤らめ、盗み見るようにこちらを見た。その視線を感じながらも、気づかないふりをした。アルフレッドの無言の叫びにも。ここは俺の場所。この人は俺の。…俺の。ほしいなんて思っちゃだめだよ、アーサー。その牽制には、理由があったのだろうか。アルフレッドの勘は、兄と恋人の間の電流を感じ取っていたのだろうか。兄の発信を、そして恋人の受信機を。
弟の恋人。
そのひとの、頑なに閉じた睫は、豆電球の明かりでもはっきりと分かるほどに震えていた。


濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ(斉藤史)


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