※ご注意
・現代パラレル@1988年パリ。その頃に関する歴史的事実の記述があります。某有名アニメの内容に触れます。
・年齢設定が二次ではありえない高さです。菊30代、ルートヴィッヒ・フランシスは50代(それも、ギリで)。
・そういう事情もあって、萌えどころゼロです。
苦手な方はお戻り下さい。
リシュリュー・ドルゥオー駅近くの小さな喫茶店でカフェオレを飲むのが国立図書館帰りの菊の習慣だった。資料調べで凝った肩をほぐし、暖房の効かない、菊の訥々とした苦情を聞き入れてもくれない大家のアパルトマンに帰る気力を出すためだ。中年のマスターは「ああまた来たね」くらいの顔で迎えてくれるが、特に愛想を振りまいてくれるでもない。別にかまいはしない、菊は確かめるように胸の内で呟きカウンターに腰を下ろす。
多くの在仏日本人はフランス人の過剰な無愛想(対日本人)と吝嗇を嘆くが、度を超した接客と馬鹿馬鹿しい金の使い方が流行る今の日本から抜け出してきた身としてはいっそ好ましいくらいだ。素人大家の老婦人にシャワーは週三回までと言い渡されたときはさすがにげっと思ったが、日本ほどの湿気のないこの国では最初に想像したほど不快なことにはならなかった。とはいえ、なるほど香水が流行るはずだと、たまさか混んだバスなどに乗り合わせれば思ったりはする。
この街に来て三ヶ月。人と会話した時間は合計で何分になるだろう。口下手が災いして、同じく特別研究員身分の同僚や世話をしてくれる事務員、それにアパルトマンの隣人を除けば顔見知りさえいない。
「…ああ」
そこまで思って菊はカフェの窓を眺めた。クリスマスのディスプレイに彩られた師走の街を、人々が足早に通り過ぎていく。コートにマフラー、その色は、日本の冬が暗色に埋め尽くされるのに比べて鮮やかだ。その中を、まさに日本で見るような野暮ったい黒い長コートが左から右に流れていった。
「今、お帰りだったんですね…」
今日は遅いな、と思っていたのだ。
「誰が?」
背後からかけられた声に驚いて振り向くと、カウンターの向こうからマスターがちらりと笑顔を見せた。無精ひげに長髪と、飲食業界では敬遠される格好ながら不潔感がない。美形は得だ、と菊は彼を見るたび思っていた。
「キミがしゃべったの、初めて聞いた」
「そう…でしたか?」
「注文は別だよ」
なぜ別にする、と菊は思ったが、それは飲み込む。ついでに会計時の「おご馳走様」も別にされていると悟って、菊は小さく腰を浮かし頭を下げた。
「初めまして」
「皮肉で言ったんじゃないよ!」
マスターは吹き出した。こちらも冗談で言ったつもりじゃなかった菊は困惑しながら腰を下ろす。
「悪いね、いきなり。ただ、この街に知り合いがいたんだな、とちょっとびっくりして。いつも一人だからさ」
「あ」
そうだ、その話だった。
「ええと、はい。知り合いというか、顔見知りの方がちょうど帰って行くところだったので」
「追いかけて挨拶…という間柄ではないんだ?」
「ええ。本当に、顔を知っているというだけで」
「ふうん?」
含みを持たせた相づちに、菊はまた困惑する。別に、本当に、ただの顔見知りだ。特別な感情など持っていない。何せ、相手は男だ。それも父親ほども年上の。
「あの、本当に」
繰り返せばかえって違うことが強調されそうな気がして、菊は言葉を切った。
「…すみません、あまりフランス語が得意ではなくて」
「いや?十分聞き取れるよ。留学生?」
「…のようなものです。大学ではなくて、そこのビブリオテーク・ナショナルに通っているんですが」
「ああ、それで毎日来てくれるのか。文系?理系?」
「歴史を専攻しています」
「へえ。じゃあ興味あるかな、この喫茶店は居抜きで買ったんだけどさ、路地に面した方の壁、下の方にプラックがあるから見てみれば」
毎朝、菊は同じように駅から図書館を目指して歩く。大きなガラス窓からカフェの店内が見えるが、あれ以来言葉を交わすようになったマスターは客の女性と談笑中、目礼もできずにそのまま図書館に進む。入り口では登録カードを差し出し、席札をもらう。プラスチックの大きな札は、360席が用意されている一般読書室の、真ん中の通路より右の席なら緑、左なら灰色と塗り分けられている。
「緑の、118番を」
空いてさえいれば閲覧席を指定できる。118番の席は右側が柱になっていて、隣席からの邪魔が単純計算で二分の一になり、かつ光の具合もよく、通路に面していないため騒がしくもなく、菊のお気に入りの席だった。目が疲れたときに楕円形の天井を眺めれば放射模様を描く高窓からの光がささやきを返すように見えるのも好きだった。
開館にあわせて来たというのに、119番は既に人がいた。
国立図書館は、一度だけの利用者ももちろん多いが、菊のように通い詰めになる人も多い。そうした利用者のこれまた多くは、菊のように「定席」を作る。司書の席に近い、逆に入り口に近いなどなど、お気に入りの理由はそれぞれだろうが、菊のようにテーブルの端を好むのがほとんどだ。しかし、この119番は、両隣にどんな五月蠅い人間が座るとも限らない席だというのに、多分菊が図書館に通い出す前から…ということは3ヶ月以上前から、ほぼ毎日この男に占められている。
ドイツ人だろう、と菊は勝手に想像している。
アジア人の区別をヨーロッパ人がつけられないのと同様に、菊も顔を見て民族が分かるわけではない。民族と一致するとも限らない国籍はなおさらだ。だからこれはただのステレオタイプでしかないのだが、小用でわずかな時間離席する時も本やノートをきっちりと整え(積み上げた本の端をそろえさえして)、5時になる2分前に懐中時計を出してちらりとそれを見、正確に二分後荷物を纏めて立ち去っていく几帳面さは、周りのフランス人には見られなかったものだ。付け加えるなら、自分と大差ない服のセンスも。
菊と彼とは、だから、菊が118番をお気に入りと定めた日から、「顔見知り」である。およそ3ヶ月、ずっと顔見知りのままである。
菊が隣に座るとき、彼は一瞬だけ目を書物から外し、菊の黙礼を受ける。
そして、彼が帰るとき、菊に小さく会釈をする。
その一日二度の、言葉も交わさない挨拶だけが、彼とのつながりだった。
けれども、多分菊の思い上がりではないだろう、その会釈の他人行儀さは少しずつほぐれ、その貴族然とした顔には微笑がたたえられるようになってきた。年を重ねたが故の細かなしわだけではなく、眉間に刻まれた縦皺は彼の哲学者のような風貌にむしろ魅力を与えていたが、菊に辞去の挨拶をする時には僅かにそれが開き、アイスブルーの瞳を柔らかく見せる。
お互いに干渉しない、そんな約束をしたわけでもないが、名乗りも挨拶もせず、3ヶ月。ただその几帳面さと野暮ったさと整った顔だけが、菊の知る彼の全てだった。
いや―――もう一つ分かっていることがある。横目でちらりと見るだけだから書名まで分からないが、彼もまた歴史を探っているようだった。係員が彼に手渡す本は多くが第二次大戦初期における西部戦線に関するものである。
菊は、マスターに教えられた金属製のプレートを思い出す。戦後40年の時を経て、それは、ここでレジスタンスの某がいわゆる自爆テロで散華したことを今の時代に向けて語っていた。
フランスにはあちこちにそんなプレートがあった。
パリの街は変わらない。ただ、積み重なっていく。その象徴がこのビブリオテークだ。建物でいっても100年以上まえ、組織でいえば500年以上前から、ここに知が集積されている。「世界の全ての記憶」を保存するという意識が、日本でなら「水に流してしまいたい」と思われるだろうことをも収集させる。アルジェリア戦争当時の地下出版物であれ、五月革命の国家打倒を謳ったビラであれ。
出国の少し前、菊は姪にせがまれて、一緒にアニメ映画を見に行った。かわいいおばけが出てくる陽気なアニメに姪はご機嫌だったが、同時上映の戦争映画に半泣きになったものだ。有名な小説を原作にしたそのアニメでは、姪と同じくらいの女の子が、戦後の飢えの中で、ただ兄にだけ看取られて死んでいく。その後、サクマ式ドロップを見るたび顔をしかめるほど彼女に衝撃を与えたアニメを、菊は二重に複雑な思いで眺めた。
一つは、その二つの映画共通のキャッチコピーが「忘れ物を届けに来ました」だったことだ。どちらの映画にも通底するメッセージであるそのコピーは確かに秀逸だったが、バブルに浮かれる今の世の中で、戦争とその悲しみは完全に「忘れ物」なのだとしみじみと思ったものだった。
八月といえば戦争、となって久しい。どこから数えるかにもよるけれども、少なくとも八年間はずっと継続して戦争をしていた、その、春も秋も冬も切り捨てて、八月だけに戦争の記憶が再現される。きっとこの映画もいずれテレビでの「八月もの」になるのだろうと思う。
西ドイツでは、第二次大戦やユダヤ人迫害に関する番組は、少なくともどこかの局のどれかの番組では、毎日一つは流されている。
傷と傷が同じ地面の上に並ぶヨーロッパでの、それが歴史の乗り越え方なのだろうと菊は思う。
かたりと小さな音がして、隣の男が席を立った。菊もそれをきっかけに書物をめくる手を止め、背を伸ばしつつ天井を見上げた。
「ベー・エヌのさ―――」先日、マスターは暇だったのか話しかけてきた。「男子トイレのドアって、今も落書きあんの?」
菊は思わず瞬きをしてマスターを見つめた。
「学生の頃は通ったんだけどさ。ラテン語の落書きが結構あるんだよな」
「そう…なんですか。落書きは、ないと思います。鉄のドアですから書けない気がしますが」
「あ、ドア自体変えちゃったのか。前は木製だったんだよね。そうだよなあ、もう随分前だしなあ。…そっか、考えたら、菊ちゃんは図書館終わってからうちに来てるんだから、閉館時間も遅くなったんだね」
「昔はもっと早かったのですか」
「ああ、5時にはがらんがらん鐘がなってさ…」
「へえ…」
その時代でもあの丸天井とそこから続く流麗な柱はあった筈だ。でもここもあと数年で簡単には入れなくなる。今年のパリ祭で、大統領が新館創設計画を発表したのだ。この建物が何に利用されることになるかは分からないが、一般閲覧室は新館になるだろう。
マスターは続けて言った。
「例の『顔見知り』とは、まだ『顔見知り』なの?」
「ええ」
「声かければいいじゃない。駅の近くにコーヒーの美味しい喫茶店があるんですが、どうですか?――なんてさ」
あはは、と菊が笑うとマスターはウィンクを返した。こういう『気障』とされる仕草が、この人にかかると自然だ。
「図書館なんですよ?」
マスターは「え」と言った。その反応に菊も「え」。
「図書館でナンパする人はいないでしょう」
「いるでしょう、どこだって」
「だって、相手は図書館にいる人なんですよ」
「当たり前だよ!」
確かに当たり前なのだが。
「だから、誘いに乗るような人種じゃないじゃないですか」
「意味わかんない、全然わかんない」
その後、恋愛観と性格に関する東西の違いについてマスターと語り合ったが、折り合いようがなかった。マスターは最後、笑いながら言った。「その『顔見知り』さんが菊ちゃんを誘う勇気を持ってくれますように!」
菊が説明をしないままだから、マスターは誤解している。その『顔見知り』とはうら若い女性ではなく、今隣に戻ってきた厳つい男性だ。図書館の隣席としては静かでもあり領域侵害もしない理想的な人だが、年といい性別といい、恋愛の相手ではないのではないか。
もっとも、お茶にでもと誘われたらついて行ってしまうだろうなと菊は心の中で小さく笑った。それこそ「誘いに乗るような人種じゃなかった」ために、恋愛の経験値が零に近い。こういう、惹かれてやまない心持ちをなんと呼ぶのか知らないのだ。
敬慕でもいいだろう、何せ父やマスターと同世代の、時代の生き証人たる大人だ。けれども、お互いに好もしく思いながら――であると思う――言葉を交わさない、むしろそれなのにできあがったかぼそいつながりに奇妙な愉悦を覚えるような、そんな気持ちは、ただの敬愛というには足りない気がする。
今日も彼は、ものは上等だが一昔前の型のスーツで身を包み、薄い色の金髪をきれいに後ろに流して、端然と座り資料を書き写している。帰る前にはケースにしまう細身のめがねは老眼鏡なのだろうか。若い頃はさぞ筋肉があっただろうと思わせる上背のある姿は、無駄な贅肉もなく、いよいよ彼を学者めいた風貌に見せる。その、筋肉質な体格と知的な顔立ちのアンバランスは、菊に、祖父の写真を思い起こさせた。
くだんのアニメ映画で、もう一つ、菊に複雑な思いを与えたのが、主人公の設定だった。菊の祖父もまた海軍士官だった。主人公よりは幼かった父もやはり、掌を返したように視線の温度を変えた世間に怯んだ。国を守ってくれる軍人様、は、日本の進路を誤らせた悪人の一人となった。しかし、主人公とは違い、父は、恩給によって飢えとは無縁の子供時代を過ごした。
その父は、祖父のことを一切語らない。批判も受け付けず、顕彰も拒否する。
時代によってぶれる他人の評価など聞く耳をもたない、私の父の死を私から奪うな――その強い拒否は、菊を歴史の道に進ませた。社会の与える評価を受け付けないなら、しかも父本人の評価を伝えてもくれないなら、菊は自分で、祖父は東南アジアで何をしたかを知り、考えるしかないのだ。
国立図書館での最後の一時間を、菊は祖父の足跡を辿る時間に充てている。ヴィシー政権の了承により行われた仏印進駐。祖父の隊はどこで何をしたのか。そこからどこへ旅立ち、なんぴとをあやめたのか。誰を救い、誰を見捨てたのか。
会ったこともない祖父は、その時何を思ったのか。
全ては想像の中にしかない。しかし、想像を組み立てる材料を集める努力を続けるしかない。それが祖父に近づく唯一の道だろうから。
ちゃり、と音が鳴り、菊は思わずそちらに目を向けた。緑色の札が、臨席の男の手に握り込められている。小さく震えている手に目を見張り、顔を隣に向けた。
彼の唇も小さく震えていた。
「見つけた…」
小さな、本当に小さな声がそこから漏れた。
左手は本の一行を押さえていた。一度目を通したから記憶にある、その本はヴィシー政権下で行われたレジスタンス、その中でも武装ゲリラなど実行力を持った集団について書かれたものだったはずだ。
予想が正しいなら彼はそちら側ではないはず、そう思い、菊ははたと気づく。レジスタンスとは、抵抗者側が生き残り政権を打ち立てたから正の価値を持つ言葉なのであり、ヴィシー政権側にとってはテロリストである。そして、占領・駐留していたドイツ軍にとっても。
戦後40年を期に、かの国の大統領は「心に刻む(エアインネルン)」という言葉を発信した。一人一人が、過去を見据え、未来を想うこと。
正義を手中にしているか、手にする権力が大きかったか。いつ誰の目に映ったかでそれさえ変わる。しかし、出来事は厳然としてそこにある。社会に奪われそうな「出来事の意味」を個人が取り返し、内面に刻み込むには、たとえ心臓を裂く思いをしてでも真実を知るしかない。
ここにも。菊は思う。ここにも、さまよえる魂があったのだ。
だからこそ、年も民族も違うのに、こんなに惹かれた。
どんな意味があるのか菊には慮ることさえできない119という数字を握りしめて、男はかすかな声で「にいさん」と呟いた。