※ご注意
・アサ菊アサ。状況的にはアサ菊、しかし展開的には菊アサ。お友達スタート。
・何もしてませんが、話題がずーっとしもいのでR15。ばかえろ話。菊さんは腐男子です。
諸々、苦手な方はお戻り下さい。
「お帰り下さい」
からら。絶句しているうちに目の前で引き戸が閉められる。
「え」
え、待てよおい。俺たち、友達だよな?ていうか、親友…じゃなかったか?俺の方だけの思い込みか?少なくとも友達として持つべき好意の数値はお互い満たしていると認識していたんだが。なんだこれ。
ぴしゃ、と締まったガラス戸の向こうで鍵まで締める音がする。
「あの、突然来たのは悪かった、謝る」
いつもは事前連絡をいれるのだが、今回はふらりと立ち寄ってしまった。「あー、今菊さんとこはデンジャーっすよ」なんて帰りがけに言いやがるから!別に心配になったわけじゃないけど、主要国の状態に気を配るのは当然のことだからな。
「いえ…、そういうことには慣れてますから大して問題ではないのですが。今、少し取込中なのです」
「誰か来てるのか」
地味にショックだ。今までだって先客がいたことはあった。けれども双方に断った上であげてくれていた。密談ならともかく――菊を「そういうことに慣」らしたメタボ弟のせいで原則的にそれは菊の家ではできない――”俺よりも誰かを優先する”なんてそぶりを俺に見せたことはなかったのに。
「いえ。ただ、取込中なんです」
「原稿か?」
見たことはないし中身も知らないが、漫画を描いていることも本を出していることも知っている。夏はそれに忙殺されることも。フランシスが「お祭り」と言っていたそれは終わったはずだ。別にチェックしてたわけじゃない、ただその日程が帰省週間と重なるということを知っているだけだ。各種企業も営業しているし、列車ダイヤも通常運行に戻っている、うん、終わっている。
「いえ…」
はあ、とドアの向こうの菊はため息をついた。
「私は……折檻中なのです」
もう一度「お帰り下さい」との言葉を残して菊の気配は奥へ戻っていった。
せっかんってなんだ。携帯を取り出し翻訳サイトに打ち込んでみる。「中」がつきそうな、つまり動作的名詞の「せっかん」は「Chastisement」。おい、待て待て、本当にそれはdangerじゃないか!
帰れるわけがない、大変な目に遭っているのなら放ってはおけない。世界の警察の名は他に譲るが、紳士として困っている国を見過ごすわけにはいかない。
俺は裏に回った。鍵をかけても、この季節、菊の家はどこもかしこも開いていて、忍び込むなんて簡単だ。原稿修羅場中は防犯の為に雨戸も閉め切ってエアコンをフル稼働させているらしいが、元来は自然の風を好む菊のこと、「暑いですよね」といいながら縁側を全開にして風鈴をならす。つまり、庭に回りさえすれば丸見えなのだ。スパイ大国(笑うところではない)としていつも持ち歩いている双眼鏡を手に、俺は庭の植え込みに隠れた。ほら、菊はやはり窓も全てあけて卓袱台にもたれている。
双眼鏡をあててみて、俺は心の中で「あ?」と呟いた。浴衣だ。夏着物ではない。半襟の有り無しの違いなんです、と菊は説明してくれた。つまりですね、全体をざぶざぶ洗えるものかどうかの違いなんです。簡単に言うと、
寝間着。
ちょっと珍しい。遠回しに来るなと言われてしまう修羅場中はしらないが、菊は基本的に一人で過ごす時でもきちんとした姿を好む。どうしたんだろう、しかも若干、着つけが緩んでいるような。
ごく、と唾を飲み込む。
暑いから、とまずは考えてみる。何せ首元まで布がくるのだ、少しはくつろげようと思っても不思議はない。
しかし、菊はChastisementと言った。そのせいなんだろうか?しかし、顔や見えるところに傷や痣はない。縛られているわけでもない。もしかして聞き間違いをしたか、翻訳が間違っているかしたんだろうか。
そう思って死んだような目の菊をただ見ていると、その目が閉じた。ため息をつく。
はあ。
その音が耳元で聞こえたような気がして、思わずびくっとした。声も低く、男であることを疑わせない菊には、それなのに妙に色気をかもす瞬間がある。おかしいだろ、何考えてんだ俺、と頭を振るが、そういうスイッチが入るとしばらくはどこもかしこもが艶めかしく見えてしまう――そういうことは、これまでも度々あった。
落ち着け自分。きっとこの湿気と温度でぼおっとしてるんだ。
そう言いながら頬をぺちぺち叩いていると、目の前で菊が、とさ、と倒れた。畳につっぷしたまま動かない。
「……菊!」
捨ててはおけない。のぞきがばれるが緊急事態として許して貰おう。俺は植え込みから飛び出し、庭を横切って縁側にあがった。膝をかけたところで日本の習慣を思い出しあわてて靴紐をとく。手間取っていると、日本が顔をあげた。
「あ……さ…さん……」
実に苦しそうに眉をしかめ、身体を起こそうとする。
「無理をするな!すぐ行く!」
「来ないで下さい!」
ぴしり、と声を投げかけて、菊はようやっと正座に直った。そして、眉間に深く皺を刻んだまま淡々とした声で言った。
「私は今、性的に興奮しているのです」
「は?」
靴の踵に手を掛けたまま、俺は固まった。
「ですから、………ごくごく簡単に申しますと、勃起しているんです」
「はあ??」
全くそんな様子に見えない菊に、俺は瞬きを繰り返した。せいてきにこうふん…って、つまり、ハァハァってことだろ?どこがだお前、水浴びでもしてきたような顔してるくせに。そう思いつつ目線が下に向かう。と、そこには確かに不自然な盛り上がりがあって、思わず「うおっ」と「ぐあっ」の中間のような声が出てしまう。
「あ、これは見苦しいものを」
菊は立ち上がって卓袱台の向こうに回る。確かに天板によってそれは見えなくなるが、いや、しかし。
やっと靴を脱ぎ座敷に上がった俺は、おずおずと対面に座った。
「すみません、おかまいできませんで」
いつもは、遊びに行くと季節に合わせた飲み物を出してくれる。緑茶に桜茶、冷たく冷やしたシソジュース。
「冷蔵庫の中にはあるのですが、立ち上がるのが、つらくて」
「い、いや。お前が気にしないなら、とってくる」
たちあがると、菊はうるんだ瞳で見上げた。
「有り難うございます。身体を冷やしたいんです」
おおおお前そんな顔はちょっとやばいだろあんまり人に見せない方がいいんじゃないか!?
ぎくしゃくした動きで台所に向かう。何度か紅茶を淹れてやったこともあるし、料理を運ぶくらいの手伝いはしたこともあるから、場所は分かる。食器棚からグラスを、冷凍庫から氷を取り出し、その中に冷蔵庫のシソジュースを注ぐ。
二つのグラスをもって座敷に戻ると、菊は襟を大きく抜いていた。
「すみません、お見苦しいと思いますが、少しくつろいでおります」
「い、いや」
手刀を切ってグラスを受け取り、まずはそれを頬にあてて、はあ、と息をつく。だから、その妙な色気はなんとしたことだ、お前。
「あの……まだ、こうふん……してるのか」
「ええ、恥ずかしながら」
いや、恥ずかしいっていうか、いや確かに恥ずかしいかもしれないが、それよりちょっとおかしくないか。
「……鎮まらないのか」
「そうなんです、もう昨日からずっと」
う、うわぁ。
考えるだけでそれは辛い。というか、一日なんて、あり得ない。12時間耐久に挑戦したロシア人は心臓発作で逝っちまったんじゃなかったか?まあ、あれは人間だけれども…「私はもう枯れてますから」なんて猥談にも加わらない菊が、なぜ。
「もう、身体が熱くて熱くて」
「……そうだろうな……」
熱いからこそ擬態語が「ハァハァ」なわけだ。他人がどういう状態なのかは知らないが、少なくとも俺は、その状態の時は体感温度が数度違う。
「エアコンつけたらいいんじゃないか」
「折角魔窟から抜け出せたのに、しばらくはあの風にあたりたくないんです」
魔窟、とは原稿部屋のことだ。入れてもらったことはない。
「プールに入るってのはどうだ」
「試しました。といっても出かけるわけにもいきませんので、水風呂で。もちろん身体は冷えたのですが、その部分だけはそのままでして」
「う、わ」
「もう」
ことん、と額を卓袱台につける。
「つらくて…」
つらいだろう、それは。
とりあえず卓袱台に投げ出されていた団扇をとって、見よう見まねで扇いでやる。
「う。ありがとうございます」
菊は目を細めてこちらに顔を向けた。
はあ、あ。
細く紛らせている息が熱い。顔を動かすと、さり、と黒髪が流れて小さな音をたてる。鬱陶しげにそれを細い指がはらって、耳にかける。薄赤く染まった耳朶が姿を現し、その先に続く首筋の色づいた様まで見える。
ちょっと、勘弁してほしい。俺はその姿が見えなくなるくらいぶんぶんと団扇を振った。なんだこの、菊を見る度に下腹部からわき上がる背徳的な衝動は。
「あの、な」
「はい」
「何に興奮してるんだ?」
恋人と絡んでいるわけでもない、刺激剤になりそうなものを見ているでもない。それなのに菊は興奮しているという。訳が分からないが、文字通り、目の毒だ。
「ま、まあ……靴でも銃でも車でもなんでもいいんだがな。とにかく、……それで抜いて落ち着いたらどうなんだ」
紳士らしからぬ内容に、思わず小声になってしまう。
菊は恨めしげな目を向けた。
「だから、折檻なんです」
「は?」
「こういう状態に強制的にさせられているんです」
「まさかそんなことでき………王か!」
「ええ」
あいつならどんな妖術を使っても不思議はない。一言で言って化け物である。…妖術はさておき、漢方には性の秘薬がいろいろある。
「あいつ……!」
どんな経緯があろうと、一国相手にしていいことと悪いことがあるだろう。確かに重要な経済相手国だがぴしりと言ってやらねばならない。
立ち上がりかけた俺をはしっと菊が掴む。
「いえ!違うんです」
「なにがだ!ひどいだろう、流石に」
「いえ、あのう、……悪いのは私なんです」
ぎょっとする。そこまでされるほどの何をしたというのだ。
「あれは、昨日のことでした…」
菊は遠くに目をやって語り始めた。少しは気が紛れるのかもしれない。少しペースを落として団扇で扇いでやる。
「久しぶりに掃除をして爽快な気分になったところで王さんがいらっしゃって、にこにことごちそうを作って下さると言うのです。私はあの方の食事には弱いものですからそれはもう嬉しくなって、一から全部お任せで台所をお願いしたのです。いつものように食べられないほどの料理が机の上に並んで、私は――量は食べられないものですから――少しずつそれをつまんで、その味を堪能していました。王さんも一緒に食べていたのですが、満腹になった頃に、王さんが『ところで』と仰いました。
『菊には、抱く女はいないあるか』
『はい』
何を今更、と私は拍子抜けしながら答えました。
『二次元で十分です』
王さんは、今まで何百回と無く聞いた筈のその言葉に、それまでのようにうんざりするのではなく、にっこりと笑いました。
『しかし、お前は三次元に生きているあるね』
『はい』
『お前の三次元的な欲望が二次元に向けられているあるね』
『…はい。…?』
家族間でそうした会話は滅多になされないように、欲望などという生々しい言葉も私達の会話には滅多に登場しなかったので、私は首を捻りました。
『それが三次元的に解消されていれば、こういう二次元はないあるね?』
そういって王さんが凄味のある微笑と共に取り出したのは、私の夏の新作でした。…中総受20禁」
かいださんが!かいださんがGJすぎるから!菊は卓袱台に突っ伏して呻いている。
「……悪い、専門用語は分からないんだが」
「あ、分からないままでいてください」
「いや、分からないと話が見えないだろうが」
「要するに、ちょっと趣味の世界で遊んでしまったら王さんにばれて逆鱗に触れた、ということです」
ちゃんとスペースにいて顔確認しながら売ってたのに、転売屋……!!
菊はぐぎぎと卓袱台に爪を立てた。
「どの料理に盛られていたんだか…私は満遍なく食べたんですが、王さんはどれかを食べなかったんですよね、きっと」
「……さっぱり分からないんだが、……お前が悪いと双方思ってるわけか?」
「はい。ですので、王さんは悪くないんです。……ちょっとしか」
根本的原因はあの人の可愛らしさだと思うんですけど!と菊は拳を握る。相変わらず話が見えないが、見えないままにしておく方がいい気がする。
「しかし、何かやらかしたお前を折檻するっていうのが、どうして…その…たちっぱなしってことになるんだ?」
「……三次元の欲望は三次元で解消しろってことらしいです。その……自己処理もしてはみたんですが、おさまらなくて。相手がいないとだめらしいんです」
「え」
どういう薬だ。ほんとあいつ底知れねぇ。そしてさっき菊は言っていなかったか。抱く女はいない、と。
「ええと……女、買う、とか」
「売買春は犯罪です。私が法を犯してどうします」
まあ、国が犯罪おかしてりゃ話の土台が崩れるわな。
「じゃあ、ナンパするとか」
「こ、こんな二次元おたくに誰がひっかかってくれるっていうんですか!」
いや、そりゃ、やりようじゃね?と俺は思ったが、口には出さなかった。自分ではそう思っていないらしいが、菊の顔は整っている。服だってカジュアルなものはセンスがいいし、この国の中ではそう身長が低いわけでもない。涙をこらえたように潤んだ目を見せる姿は愛らしいし…って、待て待て。今は女をひっかける話をしてる。
「誰かを抱くまで、そのままなのか?」
「……さすがに、日が経てば効果は薄れると思うのですけど」
「思うのですけど…って、お前、だって、公務はどうすんだ。つうか、もうすぐ世界会議じゃなかったか?」
「ううう、テントはったまま会議なんて……袴着ていっていいでしょうか、あれだと多少ごまかしがきくんですが」
いや問題はそこじゃないだろ。こんな赤い顔をして息を乱しているなんて、やばいだろ、絵的に。あの節操ない髭野郎にあっという間に食われちゃうぞ。
「アーサーさん……」
がっ、卓袱台ごしに手を伸ばした菊に手を掴まれる。
「助けてくださいね、その時は」
「そ、その時って!」
食われそうになった時にか!か弱い羊を野獣から守るのか!それはとても騎士らしい姿だが…
「挙動不審になるかと思うのでフォローを…」
「その前に解決する方法を考えろよ!」
浮かんでしまった「食われる」イメージ映像を振り払うように怒鳴る。
だって、どう考えても身体に悪いだろう、それまで興奮が継続するとか。想像しただけで脳の血管がちぎれそうだ。ついでにいうと、服でこすれ続けて先端が……うお、考えただけで痛い。
「え、ど、どうすれば…?一回だけお願いしますって誰かに頼むってことですか?」
「まずは、そうだろ」
「嫌ですよ!それってだって、お友達ということでしょう。こんな、興奮状態を鎮めるための、まさに一回限りのお相手なんて、失礼以外の何者でもないじゃないですか。それに、私自身、相手の方をそういう風に扱うの、嫌です。だって……普通の衝動とは違うんです。これは、間違いなく、その人相手の興奮じゃないんです。誰だっていい………ものすごくぶっちゃけてしまえば、穴でありさえすればいいんです」
繰り返すが、俺の認識している本田菊は、「枯れてますから」と猥談にも加わらない、言い切ってしまえば清楚な存在だ。それが極端な形で肯定もされ否定もされたので俺は思わず扇ぐ手をとめた。
俺は、「抱く女」に不自由はしないが、文字通り「誰だっていい」。胸がでかくてあえぎ声がうるさくなければ。俺の方は突っ込んで出せればそれでいいし、向こうだってそれなりに弄って突っ込んでくれればそれでいいと思ってるはずだ。何とか言う映画ではないが、男にとっては「やりたい、好きだ、愛してる」この順番はそうおかしなものではないと信じていた。それなのに、菊は「好きだ、愛してる、したい」の順番でいたいという。ほかでもなく貴方が抱きたい、という人でなければ抱きたくないと。
いいなあ、と、俺は思った。そんな風にこいつに思われる女が羨ましい。
しかし、そんな思春期の少年のようなことを言った口で、「穴」とかぬかす。その割り切ったものいいはいったいなんなんだ。
複雑な顔をした俺に、菊は「すみません」と口を覆った。言い過ぎたと思ったらしい。放された手首を翻して、逆に菊の手を掴む。
「いや、別に。その……だな」
「はい」
「穴って、実物のヴァギナでないとだめなのか?」
「は?」
「ええと、つまり……どうぐとかどうぶつとか……」
「……」
うっわ引かれた。分かってた、けど。
こほ、と空咳をして菊はたたずまいを戻した。
「流石に動物は考えつきませんでしたが、道具は、多少試してみました。そうした一人用のグッズは我が国ではなかなか職人芸的発達をしておりまして」
「…そうか」
「王さんの薬…というか術がどういう境界線なのか分かりませんが、有機物でなければいけないのは確かなようです」
「有機物……」
無駄に理性的な単語だ。そういう話題か?
しかしそこで閃いた。閃いてしまった。……別に、女じゃなくていいんじゃないか?
例えば、………例えばだが、……俺、とか。
ゆるゆると菊の色気に当てられていたセンサーが一気に反応してしまった。
「う、あ」
思わず漏れた呻きに、菊が不審そうな顔を向ける。
待て待て。落ち着け、俺。
生き物の穴であればいいらしい。だったらそれが男のケツだろうが問題はない、だろう。もしかしたら口でもいいのかもしれない。それだったら女相手でも日本の法に触れずに金銭で解消できるんじゃないかとちらりと思ったが、そんな考えは脇に押しやる。それより今俺は、コペルニクス的転回のただ中にいるのだ。
全くの友情でもって、こいつに掘られる、そんなことは可能なんだろうか。そこに愛はない、ただ穴でありさえすればいいというこいつに。
何とかしてやりたいと思う。長年の付き合いだし、その関係は良好なだけでなく重要でもある。精巣が疲れすぎて倒れられても困る。何より、この生きてるだけで公然猥褻という今の状態でふらふらしてほしくない。こいつのためでだけでなく俺のためにも、この事態は解消すべきだ。そうだ、断然、そうだ。今すぐ解消されなければ。だって、誰かが、「一回だけ?別にいいですよ、気にしません」と穴を貸してやるかもしれないじゃないか。それで、妙な責任を感じたこいつが、「そんなわけにはいきません」なんて付き合い初めちゃったりして。二次元に裂かれる時間は減って、ついでに弟分に恋人が出来て王は喜ぶかもしれないが、それはすごく面白くない―――あれ。おかしくないか、俺。
その話のどこが駄目なんだ。男でも女でもいい、なら、解決の可能性は高まって、こいつの逡巡も薄れて、万々歳じゃないか。俺の目の前から欲情刺激剤もどけられる。俺とこいつは今まで通り親友で、ただ、まあ、あれだ、恋人が出来た分ちょっと裂いて貰える時間は減って、「一番」ではなくなって………。
ただ、それだけで。
「あれ」
顔が、歪む。
今だって、完全な一番じゃない。昔はそうだったと言えたが、大戦を挟んで関係は変わった。アルフレッドはここを自分の家のように振る舞うし、フランシスは「魔窟」にでも入り放題だ。そのフランシスが言う「あの変な色のジャージ」だの「ピンでとめてでこまるだし」だのの菊を、俺は見たことがない。
別にそれは構わないと思っていた。趣味の合う合わないはある。政治的な力関係もある。それでも、「菊」としては俺を優先してくれている、そう思えれば、それだけでよかった。菊はずっと、そんな風に思わせてくれていた。
「アーサーさん…?」
菊が気遣うように顔をのぞき込む。いや、泣いてはいない。断じて、泣いてはいないけれども……目が潤んでいるのは分かる。
俺が感じているのは、「やりたい」と「好きだ」だ。「愛している」ではない、と思う。他人にそんな感情を持ったことがないから分からない。
対して菊は、「(誰でもいいから)やりたい」。俺のことがそれなりに「好き」だ…といいなとは思うが、愛している筈はない。まるっきりそんな気配はなかったのだから。
こんな地平からスタートなんて、こいつ的にはありなんだろうか。なしだよな、そりゃ分かってる。でも。気づいてしまったら引き返せない。そういう「好き」だ。
黙りこくった俺に、菊はうかがうような目を向けた。
「あの」
「なんだよ」
「タイミングを失してましたが……ありがとうございます、愚痴に付き合って下さって」
「い、いや」
「気味悪いでしょう。男が身もだえているなんて」
「気味悪かったら、却ってよかったのにな…」
思わず呟くと、菊は「えっ」と身体を起こした。手が引かれそうになったのをぐいととどめる。じっと見つめ続けると、菊の顔は更に赤くなっていく。なんだその反応は。それこそお前が気味悪がる場面だろうが。もうだめだ。こいつ、俺のメーターを振り切らせやがった。
「菊」
「な、なんでしょう」
「無茶を言うぞ。その代わり助けてやるし、俺もそうする」
「え」
掴んだ手はそのままに、卓袱台を横に押しのけて、俺は一気に菊との間合いを詰めた。
「一秒で俺に恋をしろ」
菊はまさしく一秒で顔を真っ赤にした。