SSSsongs11(アサ菊@1923)
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※歴史記述があります。そのくせなんですが、国際電話開通時期あたりのことはスルーでお願いします。
真夜中、胸を押さえて飛び起きた。 どくん、とこめかみが鳴る。何が起こった。 しばらく考え、ベッドサイドの電話機に手をのばした。
体を布団の中に戻し、目を閉じる。何も起きていないのなら、ただ最近のこころの乱れで起きてしまっただけなのなら、一刻も早く眠りに戻るべきだ。体調を整えなければ。幻の「消失」のせいで明日が失われてしまうなんて、国民に申し訳がたたない。ただでさえ、最近眠りが浅いのだ。 「夜空の星も併合したい」とまで言った上司もいた。地球の過半を支配下に置いたとの自負が云わせた言葉だ。しかし人としての姿を鏡に映してみれば分かる。その手でつかめるものはあまりにも少なく、その手で掬えるものはあまりにも小さい。大地に伏せても地球を手中にはできず、ただその上にへばりつくだけだ。日付変更線に指先は届かない。
指の間からこぼれた水滴が床に落ちて染みをつくりそれさえも乾いていく様を、ただ見つめる夜が続いている。
無理に閉じていた目を開いた。 呼び出し音のなる間目を閉じるのが癖なもので、最後のダイアルがじじじと戻っていくのに合わせて目を閉じて――1秒後、目を見開いた。 音が、消えている。 菊を呼び出すはずの音が。菊へ繋がるはずの音が。 今度こそベッドから降り、その辺にあった部屋着を身につけて、寝室を出た。どういうことだ。 菊。答えろ。 心の中で呼びかける。 返事はない。 官邸へ電話を掛けて、公式ルートで東京を呼び出すよう命じた。分かりました、と下がった室員はなかなか姿を見せない。 答えろ菊。何かあったか。 どこにいる。だいじょうぶか。 ことばは返らない。 菊がいたはずの場所、菊がそこで微笑んでいたはずの場所は黒一色の闇、投げかける言葉さえ同色に塗りつぶされて、無化してしまう。 目線を落とすと、膝の上、手は小さく震えていた。両掌を上に向けて、その空間に在るものを確かめようとするけれども、思うように閉じてくれない指の間はこぼれおちるものの存在ばかりを想像させる。 「東京は応答不能です」 ばく、ばくと胸がなる。もう一度受話器を上げる。 菊。 「相当数の建物が倒壊しているようで」 答えろ菊声を出せ。 とにかく何か言うんだそしたら位置が分かる手を伸ばせる。 「電信含めすべての機関で音信不通です」 声が出せないのか喉がやられたか耳は耳が聞こえなければこの声も届かない 俺の声が聞こえない 「横浜も応答しません」 お前の上に梁があるのか柱が落ちたか手は動かせるか足はどうだ今いる場所から抜け出せるか 手が、のばせるか 「とにかく詳細は一切わかりません」 火はお前の近くに迫っていないかお前の周りを飲み込んでいないかあの愛すべきちまちまとした小路の中でお前の活路は立たれていないか紙と木で出来た優しい色の日本家屋は燃料と化してお前を飲み込む炎を煽っていないか風は風はお前を飛ばしていないかこうした時の火は酸素を求めて竜巻のように上昇し火竜となってのたうちまわるというお前はそれに捕らえられていないか鉄さえ溶かすというその旋風はお前の上を吹き荒れていないか 菊。 「卿」。「卿?」。「卿…」呼び声は小さくなり、やがて下がった。 傷は深いか火傷はどうだ無事で、あるはずはない無傷の国などありえないいつか直る傷を引き受けるのも国の役目だ、としても、今、どうなんだ 息をしているか 菊
もう一度のばしたなら 俺の手を つかめる か
落とした目にうつった手の中の空間を、握りつぶす。 新しいものをいれるかわりに捨てたもの。捨てた絆。捨てたまなざし。
あの手を あの手を離してはいけなかった 知っていたのに、俺は知っていたのに 手を離した、指先が離れた、しかしその先にずっといると思ったのに、
あの 手
国こぞり電話に呼べど亡びたりや大東京に声なくなりぬ (中村憲吉)
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1923年8月17日日英同盟失効。同年9月1日関東大震災。
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