SSSsongs10(イヴァン・菊)

 

※観覧車二品その2。

※黒いです。歴史記述があります。現代。こういうのはヤンデレというのか?


 

 

上司たちの首脳会談なら警備上の問題で避けられるだろうけれども、このメンバーに対するテロもあるまい。そこで世界会議の議長国となった菊は東京はど真ん中のホテルをおさえた。ついでに、遠来の客に対する慰安のつもりで、会議終了の挨拶と共に、隣接する遊園地のライドフリーチケットとスパ施設招待券を配った。明るい歓声をあげてジェットコースターに向かったアルフレッドを苦笑で見送り、某怪盗アニメのアトラクションはまだなのかと残念顔を見せるフランシスにあと半月ほどなんですけどねすみませんと頭を下げて、さて温泉温泉……と思ったところで、ふと気が変わった。

本当に久しぶりですけど、のんびり東京を眺めるのもいいでしょうか。

大観覧車と言うに足る大きさなのだが、夕暮れという時間のせいか、人が少ない。家族連れは帰宅の途につき、カップルはもっと遅く、夜景華やぐ時間に来るのだろう。待たずに乗れそうだとするすると乗り場まですすんだら、係員に「二名様ですね」と確認された。え。振り返ると、いつからそこにいたのか、シロクマのような顔かたちをした男がにっこりと微笑んでいた。
「え」
今度は口に出す。
「やあ、この乗り物は並ばずに済むんだね」
「お乗りになるんですか」
「うん、君とね」
「謹んで遠慮申し上げますお譲りいたしますのでお先にどうぞ、あ、係員さん、一人ずつ乗りま」
「本田君、寒そうだね」
昔読んだ雑誌、「身近な道具で人を殺す方法」という特集記事に、濡らしたティッシュを寝ている顔にかぶせる、というものがあった。そんなことで死ぬのかな、と好奇心で試してみたものだ。――濡れている筈のないマフラーでふわりと顔の下半分を覆われた、それだけなのにそんなことを思い出すのは過剰な警戒心のなせるわざだ。イヴァン相手にはどうにも緊張がとれない。
呼び止められたかと振り返った係員は、マフラーの端と端を分け合う二人に微笑みをよこして目を観覧車に戻した。
あきらめの息を吐く。
一体何と思ったんでしょう。これだけ見た目が違うのだから、兄弟の筈はない、男同士でまさか恋人と思う筈もない。――知人。事実、そうとしか言いようのない、それだけの関係でしかない彼と、まさか空中散歩15分をともにする日が来るなんて。
…むしろ、こうやって、簡単に「まあ、いいか」と思える日が来るなんて、だ。絶対に邪魔も助けも入らない閉鎖空間にこの人と二人きりなんて、想像すらできないほどの対立関係だった。時の流れのおかげで、「知人」に、やっとなれたのだ。
こんな日も、あっていい。
もう一度あきらめの吐息をついて、菊はイヴァンの後についてゴンドラに乗り込んだ。
アナウンスが周回時間を告げる。少しずつ、地面から離れていく。人は昔から重力という運命に抗い続けてきた。少しでも高く、少しでも遠くへ。そうすれば、日々生み出している塵芥と、そして罪から遠ざかる気がするからだろうか。
京都議定書に定められた、このままでは到底実現不可能な温室効果ガス排出量削減目標値を思い、どこまでもつながる光の帯を見る。

 

どこまで今は、過去のために縛られるのだろう。

どこまで人は未来のために現在を諦められるだろう。

四分の一周ほどを黙考に費やした菊は、ふと視線に気がついた。透明な菫色がこちらに向けられている。
「……せっかくなのですから、景色をご覧ください」
「外の景色を見ることと、君を見ることは同じことじゃないかな」
同じ、日本でしょ。
そう言われても、視線を受信するアンテナが違う。一旦感じ始めた視線は菊を落ち着き無くさせる。こっち見るな、とも言いにくく、菊は冗談に紛らした。
「…同じことなら、より美しいところを見ていただきたいではないですか」
にこ、とイヴァンは笑った。
「じゃあ、前を見ているよ」
「……」
フランシスやフェリシアーノが言ったのなら受け流せただろう。しかし、彼の口から出ると、そこにどういう裏があるのかと考えてしまう。
「なんのつもりですか」
「僕ね、『観覧』したかったわけじゃないんだ」
イヴァンは口をつぐんで、遠ざかっていく地上をしばらく見つめた。

 

「ずっと前、すごく、楽しみにしていた観覧車があってね」
「…はあ」
「ゴンドラの壁は向日葵色。花びらのように外壁は波打っていて、花びらに上下を挟まれたみたいになる。こんな窓もなくて、空にひたれるタイプ」
イヴァンは景色を映すアクリル樹脂をこんと突いた。
窓無し?というより、壁無し?
「危なくないですか」
「まあ、多少ね。でも、こんなに径が大きくないホイールなら、ヨーロッパはそのタイプ多いよ」
乗客が落ちた場合責任問題にならないのだろうかと菊は人ごとながら気になったのだが、そんな心配をよそに、イヴァンは続けた。
「そのときはね、『観覧』したかった。姉さんにあげたユートピアを、一緒に見るつもりだったんだ」
「姉さん…?」

彼の口からその単語を聞いたのは初めてだったので、菊は瞬時戸惑った。内輪話をするほど仲がよいわけではないため、彼の家族のことはよくは知らない。もっとも、イヴァンの側は菊の骨肉の争いにつけこんだところがあるので家庭事情に通暁しているが。正直に言って菊は、東側世界のことには関心が薄かった。

「プリピァチの町はね、高層アパートに学校、病院、音楽ホールとなんでもあって、生活水準も高くてあこがれの町だったんだ。そこに、遊園地を作った。開園予定日は5月1日。メーデーだし、春祭りでもある。寒い平原にやっと春が来る季節。観覧車でね、花の咲いた町を見下ろしたらどんなに幸せになるだろうと思った――僕たち兄弟は、ずっと、寒さに苦しめられてきたからね、春が大好きなんだ」
「…」

プリピァチ。その名前には、聞き覚えがある。
チェルノブイリ原子力発電所の城下町的存在だったはずだ。
そこに、広島型原爆の500倍と言われる放射能が散ったのは。

「5日前だった。――その、一度も客を乗せて動いたことのない観覧車は、今でもある。でも、もう見下ろしても『町』はない。廃墟しかないんだ」



菊は刹那、幻視に囚われた。


眼下に広がる大東京が、65年前のそれと重なった。
爛れた町。
その無残さを振り払おう、忘れようと、必死になった。
幻視はアニメーションとなり、焼け跡からビルがくいくいと伸びていく。地面はアスファルトに塗り固められ、川は暗渠となる。黄昏時から暮れにうつるかのように光が点りだし、瞬く間に光とスモッグが町を覆っていく。やがてスモッグは消えたが、いつか黄色い風が吹くようになる。これは黄砂か、それとも杉花粉か。現代においついた幻視はそのまま未来に進んでいく。光の輪が少しずつ小さくなる。人が減り、町が消える。そしていつかじわじわと海岸線が迫り出す。溢れる、水。
これは1000年後の光景だろうか。
水漬く町。

頂上到達を告げるアナウンスにイヴァンはふっと笑みを漏らした。

「僕は観覧車を見るといつもあの町を思い出す。そして、心臓が落ちそうになるんだけど………一方で、笑い出したくもなるんだ」
「……え?」
「姉さんも、きっと観覧車を見る度あの黄色を思い出してる。禁止令なんて言っちゃって、僕を振り切ろうとするけど、忘れられるわけがない。知ってる?」
イヴァンは目を細めた。

「ウラン235の半減期は7億年なんだよ」

ゴンドラは、落ちていく。

「間違いなく、彼女が、…というより人類が死滅する方が先だ。僕の撒いた毒は彼女の内蔵にとどまり続ける。地下に潜り水に溶けた毒はナターリャにまで到達している」

墜ちていく。

「僕たちは毒でつながっているんだ」
イヴァンは、穏やかに、笑った。
「ずっとね」

「……」

「ねえ、君も分かるでしょ?自分の撒いた毒でいつまでも苦しむ人を見て、ああこのひとの心臓を掴んでるんだなって、ぞくぞくするような喜びを感じない?」

「―――それは、中国東北部の残留化学兵器のことですか」
唸るように答えた菊を受け流すように、イヴァンは続けた。
「―――と、アルフレッド君に聞いてみたかったんだよね」


菊は眉をひそめて、窓の外を見た。ゆっくりと地面に近づいていく。もうすぐ、<いま>が戻ってくる。
私は、過去に縛られたくもないし、過去で縛りたくもない。
あの焼け野原は自力で消滅させたのだ。海面上昇に侵される未来は自力で防ぐ。


くす。小さな笑い声に視線を流すと、イヴァンが笑っていた。
「そんなに簡単に信じ込まれると、本田君が僕のことをどう思ってるか想像できちゃうなあ」
―――からかわれたのだ。菊はむっとして顔をそむけたまま言った。
「ご想像のままに」
「僕、そんなに歪んでないよ。人が苦しむのは見ててつらいし、だから姉さんとも関係が修復できたらいいなって思ってる」
にこり、と笑うその顔に邪気はない。
「だったら、どうしてあんなこと言ったんですか」
「だってさあ――」
イヴァンは体格に似合わない顔をしてみせた。小さく、口を尖らせたのだ。
「君となら、と一大決心して乗り込んだ観覧車だったのに、君は僕をほったらかしてるから、つまんなくて」

腹が立つ。そんな理由でえぐい発言をしたイヴァンにではない。他であれば流せる程度のブラックジョークでもイヴァンの口から出たなら反応してしまう、自分の過敏さについてだ。いつのまにこんなに受信性能のいいアンテナができてしまったのだろう。この男のいうことを、いつも自分は、聞き流せない。

「つまらない、であんなこと言う人がありますか。だいたい、トラウマ克服の一大決心なら、一人で乗るべきじゃないですか」
「…本田君の意地悪」
「似合わないから、やめてください」
大男が拗ねて可愛いものか。
「……じゃあ、ご想像のままに、似合うことをするよ。―――毒を埋め込んであげる」

え、の音は封じられた。物理的に。

至近距離に迫った菫色の瞳が呪いをかける。

「7億年くらい、効くといいな」

億年の時の流れのどのあたり赤き椿の花を拾ふは(安永蕗子)



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