※ご注意
		  ・枢軸組+王で、「王+菊」兄弟愛。ちょっと未来。
		  ・「お爺ちゃんとドイツさん大奮闘」前提、ただひたすら兄弟愛。だらだらと兄弟愛。
		  ・わずかですが史実記述、政治情勢記述があります。
		  諸々、苦手な方はお戻りください。
 	      
 	      
 	      
           
          渡そうとした極早生のみかんを受け取る腕はこたつに潜ったまま、仕方なく茶色の頭にぽてんとのせた――それがスイッチだったらしい。
            「思い出した!」
            こたつに埋めていたからだを勢いよく出して、フェリシアーノはたてた人差し指を突き出した。
            「菊、約束したよね」
            突飛な話にも飛躍にも慣れている、しかしそれだけでは流石にいつのどの約束なのか分からないですよと首を傾げていると、向かいのルートビッヒも体を起こしてフェリシアーノをいぶかしげに見た。二人の注目を集めたフェリシアーノはみかんを握りしめるようにして身を乗り出した。
            「ほら、ちょうど今年が70年目じゃない?」
            今年で70年目、ということは、1940年。
            「あー」
            何事かを思い出したらしいルートビッヒは頷いた。二人には明瞭な記憶らしいのに、まだ思い出さないとは、はて。よっぽど思い出したくないことなんでしょうか。首を傾げ続ける菊と同じ角度に首を曲げて、フェリシアーノがヴェーと呟く。
            「それにしてもなんで70なんだっけ?」
            「お前が言い出したことだろう」
            「なんできりよく50とか100とかじゃないんだろう?気になるなー。何か予感があったのかな?絶対今年!って」
            「…単に、おまけで伸びただけでしたよ」
            「あ、そうだった!……って、菊、思い出してんじゃん!」
          ああああ。思い出さないままでいたかったのに。
           
          + + +
          
          同盟を調印した秋だった。早生のみかんをおこたに積んで、テレビもまだなかった時代、雑音の入るラジオで拙いクラシック演奏を(しかもこのお二方に!)お聴かせするのも恥ずかしいと、音のない静かな部屋で署名した。
            こたつっていいねえ、マンマの胸の中みたいな暖かさだねえ、そういえば兄ちゃんもねえ、と、多分その辺りが話のきっかけだったと思う。
          「俺言えるよ−」
            「まあ、俺も、言えと言われればな」
          う、と言葉に詰まった菊を尻目に、フェリシアーノがふくれた。
            「俺には言ってくれないじゃーん」
            「い、言わせたじゃないか、お前が」
            「えー、もっと言って欲しいでありますー」
            ああよかった話がそれた、と息をついた菊に容赦なく矛先は戻ってきた。
            「だから、菊の話だよ。何で言えないのさ」
            おかしい、と顔をずいと寄せるが、菊の論理ではフェリシアーノこそおかしい。
          ――兄弟に、『好き』と言えるか。
          「あのですね。貴方がたは同じ陣営、というより一応同じ国でしょう。私は、他国、なだけじゃなくて、今リアルに戦ってる相手国なんですよ」
            どう考えても正しいこの大義名分をラテンの国は一蹴した。
            「そんなの、今だけのことじゃん。菊の人生でこのいち、にー、さん?年間は何百分の一?それに、俺、フランシス兄ちゃんだって好きだよ?」
            ルートビッヒは眉を顰めている。その名を聞くと鳩時計の悪夢がよみがえるらしい。
            菊はため息をついた。
            「…面と向かって口に出す文化じゃないんです」
            「えー、だめだよそんなの!大事なことはちゃんと言わなきゃ」
            「お前を基準に話すのはやめろ。何度も言っているように、俺もそういう表現が得意な文化じゃないんだ。態度で示せば分かるだろう」
          「そう!そうです、私もっ」
          助け船にのったつもりが泥の船、そんな回訓はお伽草紙で学んでいたはずだったのに。
          「……菊の家でも挨拶のキスをするのか?」
            「きっーーーーぃ?」
            メーターが上がるような勢いで菊の顔は赤くなった。目の前の彼と、過日世話になった彼の兄の「その光景」を考えて。なんですか銀幕スターのような二人がっ、毎朝っ、けしからんことをやってるというのですか、耽美派ですかこのご時世にっ発禁処分ですっ。
          無理にでも自分のことから意識をそらそうと考えた菊のいたいけな努力はとんでもない方に飛躍して余計に頬が熱くなった。
          アルフレッドさんが来てくれないでしょうか…。菊は遠い目で太平洋の向こうに思いをはせた。仮想敵国ではあるけれども、そして直前に「なりたくないですが」と言ったばかりの国であるけれども、ことこの問題に関してだけは同盟を結べる気がする。題して、「お兄ちゃん扱いなんかしないもん同盟」。…それこそこのご時世に何考えてるんだ私。
          「しないんだな、わかった。…しかし、それなら態度で示すと言っても、何をするというんだ?」
          「何もしなくても普通わかるじゃないですか!」
          ああ、言ってしまった。
          言う、言わない、の前に、前提を問題にすべきだったのに。そもそも好きか、そもそも兄弟か。そこを「普通わかる」こと、として認めてしまった。
          忸怩たる気持ちを解消できない菊には気づかないようで――もともとその前提を当然としていたらしいフェリシアーノはまた強く主張する。
            「分かってないかもしれないでしょ?思い立ったが吉日だよ、言いに行こう!」
            「いやいやいや。無理ですって。ネガティブキャンペーンはってる最中なんですから。ていうかむかついているんですから」
            なにせ敵対国なのだ。『対手(あいて)とせず』とまで言明した。
            「フェリシアーノ、無理強いはするな」
            理性的なルートビッヒの言葉に、すがるように振り返る。
            「しかし本田、お前が『むかついている』のは、あいつに、というより、お前と仲良くしないあいつに、だろう」
          ぐ。
            国民の声は王を「滅ぼせ」「奪え」ではなく「懲らしめろ」「改心させろ」という。
          昔のように戻りたいわけではない、けれども、いなくなるなんて考えられない。その辺り、欧米に対する国民感情とはずれがある。だって――ずっと隣に気配を感じて生きてきた。
          「いずれにしても、無理ですよ。ここに至る道を選び選んで、今ここに、貴方方といるんです。今は……無理です」
            フェリシアーノはしばらく黙ってみかんを手の中で転がした。甘くなるおまじない、と菊が教えたのだ。
            「じゃあさ、戦争が終わったら」
            菊はもそもそと答えた。
            「……それもなにか……勝ったのなら傲慢なようで、負けたのなら諂うようではないですか…?」
            「もー、じゃあ今から30年後でどう?絶対戦争は終わってるし、たぶんいろいろ落ち着いてるよ」
            無理無理無理、と首を振る菊に、フェリシアーノは指をつきつけた。
            「もう!じゃあおまけして70年!これ以上はまけないから!」
          
          + + +
          そもそも、フェリシアーノが勝手に言い出したことで、菊は承知していないのだからまけるもなにもない。そして「きりの良さ」でいえばなぜ30なのか70なのかさっぱりわからない。
          いずれにせよ、「30年後」が採用されなくてよかった。先方は文化大革命のど真ん中だ。親日派どころか知日派というだけで石もて追われた時代に、菊が何を言っても王は困っただろう。もっとも、その直後ニクソンショックを経て国交正常化に至るのだけど。
          きりのいい「50年後」、は、1990年。天安門事件の直後か、まだちょっと厳しかったかなぁと菊はみかんを手の中で転がしながら思う。それこそ、そのすぐ後には経済開放路線が明確に打ち出され、プラント輸出が続いていくことになる。本場中国を売りとしたウーロン茶のテレビCMは、「繊細な心遣いに溢れた若い女性」の工場労働者を映し出していて、かつて生糸を売るために全く同じイメージを自己演出していた菊はいたたまれ無さにもんどり打ったものだ。
          …ちょっと待ちなさい、自分。菊はセルフ突っ込みを入れる。「まだ」厳しかった、なんて、今ならOKとでも言うのですか。
          「あのですね、フェリシアーノ君。そもそも、私、別に王さんのことを格段に好きってことないですよ。貴方とか、ルートビッヒさんとか…あの頃敵だったアルフレッドさんやアーサーさん、フランシスさんとも、特にかわるところないです」
            珍しく空気を読んだのかそれとも気づかなかったのか、フェリシアーノも「一人スルーしたね」とは言わなかった。
            「うん、俺も、『好き』の量が多いとか言ってないよ。質が違うんじゃないかなって思うだけ。なんて言うかな−、まあ、他の国の場合、たいていは、理由あっての『好き』じゃない?でもわけもなく『好き』って、やっぱり家族だとあるでしょー」
            「…」
            黙る理由を作るかのように、むし、と親指をみかんにつっこみ、出てきた薄オレンジの球を房にわけて口にいれる。
          わけもなく、好き。だって、家族だから。
            東西問題、南北問題。
            理由、というのを経済的メリットと言い換えるなら、この二人は確かにそこを超えて家族を愛している。それなりの面積があるから端と端では風土も違う、歴史的経緯が違えば政治文化も違う。その軋轢と、端的に言って経済的負担を引き受けてでも、それでも兄弟と抱き合いたいと祈る――そんな国を、菊も間近に知っている。
          いや、でも。
          「まだ結構びみょーな関係なんですよ…」
            天板に突っ伏した菊の頭にみかんがのせられる。
            「反日デモとか随分あったもんね」
            慰めるようにルートビッヒが声を掛ける。
            「しかし、対日感情調査では『昔よりよくなった』という回答が多いのだろう?」
            「うー…。よくなってこれって、どんだけ嫌われてたんだって凹むので言わないでください…」
            傾いた頭からみかんが転がり落ちる。それを捕まえて、フェリシアーノはみかんを剥いた。
            「はい、菊。あーん」
            繊維をとらないそれを菊の口の中に押し込んで、フェリシアーノは笑う。
          「困らせたならごめん。――約束した頃の俺には70年先ってすっごい遠くって、その頃にはみんな大人になってると思ってたんだ。あの頃、菊はちっちゃくて一生懸命で可愛かったけど、なんかいっぱいいっぱいに見えた。ルーイもね。俺にとっては、誰かを好きっていう感情はとっても大切なものだから、それをみんながちゃんと口にすればみんなもっと平和で幸せになれると思ってて――でもやっぱりあの頃はみんなぎすぎすしてたから、せめてルーイには言って欲しかったし、菊にも好きな人にそう言ってあげて欲しかったんだ。…すっごい未来になら叶うかなあって、その頃思ったんだけどな」
          「フェリシアーノ君…」
          「無理はよくないってこの前学んだよね、だから強制しないけど、『嫌われてるかと思うと凹む』くらいなら、自分から好きだって言ってみたら?」
            「…うー…。『I love you』の婉曲な訳し方に人々が感動する国柄ですのに…」
            美しい水色をゆるめてルートビッヒも微笑う。
            「文化の差というのもあるからな、お前にとってハードルの低い方法で、だけどせっかくだから、こいつに乗せられたつもりで、ちょっと跳んでみるのもいいんじゃないか」 
          ぴーんぽーん。ぴんぽんぴんぽん。			
          唸っていた菊はドアチャイムの音で顔を上げた。
            「誰でしょう?」
            菊は続いて聞こえた「邪魔するあるよー」との声に飛び上がった。噂をすれば影?慌てて玄関へ迎えに出る。すると、両手にビニール袋をさげた王が、まるで近所のスーパーに行ったという風情でたっていた。
            「王さん!?突然なんです」
            「ああ菊、ルートビッヒらが来ていると聞いたあるよ。今EU輸出枠の件で折衝中ね、こっちに来ているなら捕まえようと来たあるよ」
            「こっちって、貴方のところにいらしたわけじゃないでしょう」
            菊の反論を受け流して、勝手しったるとばかりに座敷にすすむ。空いていたこたつの一辺に陣取り、持っていたビニール袋を菊に突き出す。
            「場所代ね。冷蔵庫にいれとくよろし。三人まとめて夕食接待してやるね」
            「あ、すみません」
            勝手に私の家を交渉場所にしないでください、と言おうとしていた菊はとりあえず礼を言ってしまう。こうやっていつも勢いに飲まれるんだ私のばか、そうは思うが、しみついた長幼の感覚は去らない。
            「ヴェー、晩ご飯は満漢全席?」
            「そんなわけねーあるよ。これっぽっちの食材じゃとうてい無理ある」
            そうはいいつつもなかなか大きな袋にずっしりと海産物やら肉やらが入っている。食事を振る舞う時にけちけちしないのが彼のポリシーとはいえ大量だ。
            「…では仕舞いついでに下ごしらえしてきますよ。お仕事の話をなさっていてください」
            「じゃ俺は菊を手伝うよー」
            「いえ、貴方にも関係ある話でしょうから、どうぞお三方でゆっくりと」
            ヴェーと明らかに不満そうにフェリシアーノは鳴いた。
           
          肉には胡椒と片栗粉、浅蜊は砂出し。がらスープをとって、海老の背わた取り。レストランでいえば新米の仕事だが、菊にはこういう作業も楽しい。幼い頃は兄妹総出で、豆の筋をとり、餃子を包んだ。王が数え歌と手順を教えてくれて厨房に立ち去り、あとは残った者たちでどれだけやったか競いながら――飽きた次兄が歌い出して半お遊戯会になりつつも、手伝いをしているという誇りを小さな胸に刻んだのだ。
          あの子は歌がうまい、あの子は手先が器用。あの子は海鼠が苦手で……似たような顔、似たような髪と言われるけれども、やっぱり少しずつ違って、それでも、いつも、みんなで。
          「あーもう」
          還れない昔の光景を心に描いて、何の益があるだろう。あの秋言ったように、選択を積み重ねた結果が今のこの位置なのだ。
          世界のパラダイムが変わってしまった以上、もう彼を兄と呼んで額づく外交姿勢はとれない。そしてこれだけ不即不離の関係となった経済状況を一足飛びに変えるわけにもいかない。
            二人と違って、「兄さん」と素直に呼べない、そのことは変わりなく、だけどいっそ本当に兄であるならそう呼ぶことで思慕を表明することもできたものを。
          ため息をついていると、王がのれんをくぐって台所にやってきた。
            「おー、すすんでるね。話はついたあるよ。菊はこたつにもどるよろし」
            「いいですよ、このまま手伝います」
            「菊が作ると辛さが足りなくなるね。いいから二人をもてなすある」
            またこの人は私を子ども扱いする、と思いつつ、一方、確かに客人を放っておくのも、と思案顔になった菊に、フェリシアーノの声がかかった。
            「ねー菊、俺たち、ちょっと散歩してきていい?」
            「あ、分かりました。ええと、ご飯まで2時間くらいです(、よね?)、その頃までには戻ってくださいね」
            「はあーい」
            からから、と引き戸の音がする。フェリシアーノだけなら心配だが、人間ナビゲーターのルートビッヒがいるなら迷子にはならないだろう。
          ふう、と踵を返し、王の横に並ぶ。
            「というわけで、暇になったので手伝います」
            「あー、んー、じゃあ、スープは任せるあるよ…」
            暖かい炬燵に戻してやろうとして当てが外れたらしい王は、それでも少し嬉しそうにニンニクを刻み始めた。
           
          流石に時間に正確なルートビッヒがついていただけあって、二人は菊がテーブルセッティングで台所と居間を往復し始めた頃に帰ってきた。
            「ごめんねー、俺たち何にも手伝わなくて−」
            「せめてもとアルコールを買ってきたのだが、中華料理には何があうのか分からなかったので、とりあえずビールにした」
            「って決断を下すまでがすっごい早かったよね!」
            ぷぷ、とフェリシアーノが笑う。よっぽどビールを飲みたそうにしていたらしい。
            「ああ、それがいいと思いますよ。日本でも紹興酒も老酒も売っていますけど、ここで飲むとなんか違うんです」
            皿を両手に持ってやってきた王も頷く。
            「あれはなんであるかね。日本酒もあっちで飲むといまいちあるよ」
            「気候ですかね」
            「へー」
            頷きあっている間にもどんどん料理は運ばれてくる。そこにビール用のグラスも持ち込んで、やっと乾杯となった。
            海老チリにチンジャオロース、浅蜊のスープに中華風サラダと、お馴染みの、しかしやはり味の深みの違う料理がどんどんからになっていく。この美味しさは、あの潔い油の使いっぷりにあるんですよねと菊は思い、ドクター・シュナイダーはこれにOKを出すだろうかと苦笑もしたが、毎日のことではないのだし、いいか、と割り切ることにした。
          そう、毎日のことじゃない、こんな晩餐は。
          フェリシアーノとルートビッヒはその家に兄弟が待っているが、菊は一人なのだ。
            アルフレッドをはじめとする隣人たちの来訪でその平穏は破られまくっているのであまり意識しないけれども。
            そこまで考えて、菊は気づく。迷惑との天秤にかければ迷惑の方が重い、ように感じられるけれども。腰の重い菊の分も、王はしょっちゅう顔を見に来てくれているのだ。
          ――やっぱり、好きだなんて、そんな言葉は言えないけど。
          「ねえ、王さん。ご飯とか――もろもろのお礼に、何か言うこと聞きますよ。なんでも」
          「は?」
            突然何を言い出す?と王は目を丸くし、そして残りの二人は体を強ばらせた。二人は多分、それが菊にとって「ハードルの低いやり方」だった、そういう形で約束を果たしたのだということは分かっている。
            「そう、あるな…。なんでも、か…」
            ふふん、と王の口角があがる。あああ、空気読んでくださいね王さん。ここで領土問題とか開発利権とかもち出されたらほんと困るんで。多分二人が固まったのもそれが理由だ。原義的な意味で、ナイーブすぎる。
            「じゃあ、今日は、我のことを」
          あ、お兄ちゃんと呼べ、もちょっと……。そう菊が顔をしかめたところで、王が重々しく発言した。
          「おじいさまと呼ぶある」
          「「「は?」」」
            一瞬の間が空いた。
          「ヴェー、なんでぇ?」
            「それが嬉しいのか…?」
            王は頷く。
            「我の感覚では、世代が上であるほど尊敬の対象あるね」
            私の語感ではじじい呼ばわりは決して嬉しいものではないのですが。菊はそう思いつつ、首を傾げて言った。
            「『おじいさま』」
            「うん」
            よしよし、と菊の頭をなで、脇机に片付けてあった鉢からみかんを手渡している。
            「あげるある」
 
            いやそれ元々ここの。と顔に書いた菊を知らぬげに、渡したばかりのみかんを手からとり、皮をむき始めた。内皮についた繊維質も丁寧にとっている。大人になった菊はそれが体によいことを知っていて適当にしか剥かないが、子どもの頃はだめだった。神経質なまでに筋を取り除こうとするが子どもの丸い指ではなかなかうまくいかず、王が苦笑しながらとってくれたものだ。一房、二房。外皮の敷物の上に、美しい橙色の房が、数え歌とともに並べられていく。
          「甘いものは別腹」というのは本当で、好物を視認した時、脳から発する信号を受けて、胃はぎゅっと内容物を腸に押しだしてスペースを作るという。胎内の機関がぎゅう、と動いたの感じた菊は、ああ私みかんが相当好きなんですね、とうけ流して、その香気を口に含んだ。締まったのは胃より上だったけれども。
          「ねー、ルーイ。ルーイより若く見える菊がおじいちゃんで、菊と同じくらいに見える王がそのおじいちゃんだって」
            「東洋の神秘だな」
            うんうん、と頷いて、フェリシアーノは「あ」と思い出した。
          「俺たちもねー、王にご飯のお礼。お酒買ったところの入り口で売ってたんだ。きれいでしょー、はい」
            縁側に置いていたらしい花束を受けとって、王はぽかんと口を開けた。対して菊は思わず「うわ」と声を漏らした。
            「あの……それ供花セットです」
            「くげ?」
            「死者にお供えする花束として作られているものなんです。メインの花もそうだし、あわせてあるのも白や青の寂しげな花だけでしょう。秋彼岸が近いので、墓参り需要を見越して用意してあったんだと思いますが」
            「え、そうなの?すごくセンスがいいと思ったのに」
            「悪い、そんなつもりでは」
            慌てる二人に、王は笑った。
            「気にしねーあるよ。売った側がどういうつもりにしろ、買ったのも貰ったのもそんなの知らねー外国人ある。菊も黙っててよかったのに」
            「王さん」
            「おじいさまあるよ」
            王は腕を伸ばし、花びらの二、三辺をちぎり取ると、グラスの中に入れた。
            「法事の印象が強いけれども、もともとこれは我の国では高貴な花で、もう過ぎたあるが、九日にはこうして酒を飲むのが長寿を祈る習わしあるね。ビールでやったことはねーが……まあ、景気づけに」
            と王は更にちぎった花びらを各人のグラスに入れて回った。そして。
          「おめーらもありがとうあるよ。我はこの花が好きある」
          にこり、と王は二人に笑いかけた。
          がたん。菊がいきなりたちあがる。
            「んー、どうしたあるか」
            「お、お酒が切れたので買ってきます」
            「あいやー、よく飲んだあるな。そこの三河屋ならついていってやろうか」
            「結構です、お じ い さ ま!は無理せずごゆっくりなさってください」
          財布をひっつかんで、走り出る。
          くっそじじい。
          多分王は、全て気づいている。
            政治倫理上も気持ちの上からも王を「お兄さん」とは呼びたくなくて、だけど響きの似ている「おじいさん」なら親族名称ではない、一般名詞だと自分に言い訳して呼べる、そんな菊の複雑な気持ちも。
            兄弟なんかじゃありませんと面と向かって何度言おうとも、兄弟として生きた時代を忘れられないでいることも。
          「びみょーな関係」にある菊が、「なんでも」という言葉に込めた想いも。
          まさか70年前の約束は知るまいが、それでも王は、菊が叶えやすい願いを口にすることで菊に応え、孫として菊を扱うことで常ならできないかわいがり方をして、そして、菊に先んじたのだ。
          ――我はこの花が好きある。
          「政夫さんですかーーっ!」
          叫びながら店に駆け込んだ菊を三河屋の亭主は不思議そうに眺めた。