Nr.9


 

※ご注意
・ギルベルト+ルートビッヒで、ほとんどかけ算の兄弟愛です。
・20世紀前半及び1990年頃の歴史的記述があります。
諸々、苦手な方はお戻りください。


 

ギルベルトが愛情を惜しみなく降り注いだ弟は、周りの懸念や嘲笑をよそに、実に聡明な少年に育った。近国の轍を踏むまいと、甘やかさずさんざん鍛え上げたから――そういう形でしかギルベルトは愛を表現できなかったこともある――、剣の腕はフランシスを遙かにしのぐ(はずだ。最後に奴と戦ったのはギルベルト自身だから分からない)。強く賢く美しく、しかも目上への尊敬と人への思いやりを忘れない。ざまあみろアーサー、とルッツを見る度思う。

 

「なぜ俺は生まれたんだ?」
思春期の頃、ルートヴィッヒはその幼さに似合わないしかめ面で問いただした。ギルベルトはぽかんと口をあけた。レーゾン・デートルを模索するのは青年の常とはいえ、悲願であったルッツの誕生は、ギルベルトにとってなぜと問うようなものではなかった。

「兄さんがいるんじゃないか。それでいいだろう」

ギルベルトは考えた。哲学的な弟に対し、ギルベルトは論理的に説明するのがあまり得意ではない。しかしこの疑問はゆるがせに出来ない。彼の誕生を――確かに、ギルベルトのままでいいだろうという意見があったのを押し切って――祈り、待ち焦がれ、そして歓喜に湧いた、その気持ちを分かって貰わなければならない。理解できる、なんてものじゃたりない。全身で了解して貰わなければ。

ギルベルトはルートヴィッヒを連れてバイロイト祝祭劇場に向かった。ワーグナーが独自の理論で作り上げたこの劇場は、彼の作品以外の演奏が認められていない。この一曲を除いては。

交響曲第9番ニ短調作品125。最愛の弟と同じ名を持つ楽聖が作り上げた奇跡の歌だ。

この劇場では、オーケストラは舞台下に配置される。
壮麗な柱に丸く点る照明、品のいい紅殻色の壁。桟敷席に案内されようとしたのを断って、一般観客席に座る。ギリシアの円形劇場のように高くせり上がる観客席からはオーケストラは遙か下に見えるだけだ。ここは超絶技巧を見る場ではない。音楽に浸る場なのである。

――O Freunde!

有名な第四楽章が始まる。シラーの詩を用いた美しい合唱。それは「Freude(歓喜)」の言葉に始まる。

――兄弟たちよ、自らの道を進め
――英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

硬い板張りのいすは、それ自体が共鳴版となり、劇場全体を歓喜に包む。音楽が皮膚の穴一つ一つから吸い込まれ心臓へと向かう。
上司はこの歌を「聞けば聞くほど勇敢になれる」と評した。勇敢、その言葉はギルベルトの印象とは少しずれる。そして、シラーはもともとこの詩を「An die Freude」ではなく「An die Freiheit」(自由に寄せて)と付けたかったのだというが、自由、それもまたギルベルトの実感とずれる。それよりももっと大きな何かを感じる、それは存在への歓喜としか表現のしようがないのだ。ここに今ある喜び、そしてルッツの存在を隣に感じる喜び。一人では、ない。

指揮者の棒がとまり、最後の余韻が消え去ってそれでもまだ立ち上がれないほどの興奮。
やっとそれも去ったか、起立音と拍手が辺りを取り巻くなか、ギルベルトはルッツを見つめた。弟は、目を前に固定したまま、大きく見開いて、涙をこぼしていた。伝わった。ギルベルトはその喜びに、弟の手を握りしめた。
「そうだ、これは、お前の歌だ」
「兄さん…」
「この言葉、この響き、この精神を愛するドイツ民族の結晶が、お前なんだ」

 

長じて、ルートヴィッヒは上下の格に厳密な軍人気質になった。兄に対しては尊敬を忘れず、帝国臣民に対しては慈愛を忘れず。均整のとれた肉体、統率のとれた精神。生真面目な性質に芸術を愛する心。若いエネルギーと遙か彼方から受け継いだ記憶。完璧だ。
対してギルベルトは半ば引退の身だ。仕事がないわけでもないが、「国」としての仕事は全部弟が引き受けているから、軍の先頭に立っていた頃を思えば遊び人のようなものだ。忙しそうな弟には「兄さんはあっちに行っててくれ」と言われ、「一人楽しすぎるぜー」と呟く日も増えた。嫌みな貴族をからかいに行ってはフライパンに追い返される。まあいいさ、怪我をするわけでもない。

そう思っていたのに、何となく気配が怪しくなったのは、デブ宰相が手配していた国際関係が崩れだした辺りだ。髭も眉毛も、ルッツの成長が面白くないんだろう、ふふん――で済んでいた頃はよかったが、そのうち露骨に頭を押さえにかかってきた。物慣れないルートヴィッヒは反射的に手を払ってしまう。

あー…。
端から見たから言えることだけれども、ギルベルトは眉間にしわを寄せた。自分がそうされたんだったら当然やり返していたに違いない、剣には剣をで生きてきた、けれども。若い。若いよルッツ、その反応は。あいつら、リアル海千山千なんだぜ?こちらから見れば正当防衛でもあいつらは修辞技法を駆使して俺等を悪者にするだろう。秩序攪乱者、とかなんとかさ…。
そんなことを思っているうちに、南の半島で事件が起きた。それから三十年の戦争の時代。

第九は、史上最も美しい戦場の歌となった。

――英雄のように喜ばしく勝利を目指せ

宣撫隊は野営地に出かけては勇壮なメロディーを演奏した。
ルートヴィッヒも、そして敵の連合軍も。

イヴァンは国歌に採用しようとさえした。「これは社会主義革命の音楽だ」。
アルフレッドは「民主主義の音楽だ」、そして髭は「共和主義の音楽だ」と言った。
ドイツ人がその歌を演奏することなど許されない、と。

「違う!」
ルッツが叫ぶ。

 

ルートヴィッヒは――もはや身長も体重もギルベルトを上回った愛する弟は、いつも綺麗に整えられていた髪をくしゃくしゃに乱して、ギルベルトを見上げた。人の消えた執務室はあの祝祭劇場のように天井も高く、ルートヴィッヒは舞台下のオーケストラのように孤独だった。
ルートヴィッヒは椅子に座ったまま、ギルベルトの腰にしがみついた。
手を握ったあの日から、そう時間も経っていないというのに、そういえばこんな風に触れあうのはなんて久しぶりなんだろうとギルベルトは思う。

「なあ、兄さん、あれは、俺の歌だよな――?」
「…」
「そう言っただろう…!?」
そしてあの日以来絶えてみることの無かった美しい雫をこぼした。

他国にだけじゃない。ルートヴィッヒは、上司にさえその歌を奪われかけていた。ベルリンオリンピック、総統生誕祭。何度も何度も、彼らの集会で第九は演奏された。
――そして、その上司の自殺の報も、第九と共に電波に乗った。

「歓喜の歌」を聴きながら、執務室でただ二人、破滅の足音を感じていた。

「………お前は、アルフレッドや本田とは違っててさ」
一見関係のないことを言い出したギルベルトに、ルートヴィッヒは目を上げた。
「お前は、俺の本当の弟で、兄を見限ることもなくて――」
「ああ。…?」
見上げる目の透明さに耐えきれず、ギルベルトは宙を見る。
「だけどやっぱり、もうお前は俺のものじゃない」
「兄さん」
「俺が作った。俺が育てた。――けれども、もうお前は俺と別の存在だ。多分、それと同じなんだろう」

生まれにつながることは、占有することとイコールではないのだ。
ルッツが――ギルベルトのではなく、フェリシアーノや菊の手をとったように、ルッツはギルベルトのものではない。彼らのものでも、ない。
生まれるということは、存在するということは、自分自身だけのものになるということであり、同時に全てのひとのものになるということだ。

鉄の規律で作り上げた帝国は明日にでも瓦解する。それでも俺たちは存在し続ける。もはや生存は歓喜ではないだろう、いっそ苦痛だろう。それでも、死ねない。
硝煙と血煙の中に生み出してしまった弟に、謝ることもできない。なぜなら、その存在がやはりギルベルトの唯一の希望であるから。

こんなことをするのは最後かもしれない、そう思いながら、ギルベルトはルートヴィッヒの涙に唇を寄せた。

 

 

 

鉄条網が取り払われ、壁が壊された年の冬。
ベルリンコンサートハウスで第九が演奏された。ドイツを分割占領した四カ国と東西ドイツの交響楽団による編成で、ユダヤ系アメリカ人の指揮。時代の変化を予感させるコンサートに、二人も招かれた。
腹の立つことに更に身長の伸びたらしい弟に、ギルベルトは肘鉄をくらわして、固い腹筋に跳ね返された。
「何やってんだ兄さん」
「ふ、ふん。別に何でもないぜ−」
変わらず兄と呼ばれたことに多少動揺したギルベルトは、ずかずかと招待席にすすんだ。ため息をつきながら隣に座ったルードヴィッヒは、ちょっと後ろを気にして腰を前にずらす。
大きくなったもんだ、あんなにちびっこかったのに。

ああ、本当に。―――長い時間が二人の上を流れた。

第四楽章、ソリストが独唱を始める。

――O Freiheit!

思わず目を見張り、隣を見る。ルッツも同じようにこちらを見ていた。一秒後、二人して苦笑する。

やりやがったな、アルフレッド。

――Freiheit, schöner Götterfunken,(自由よ、神々の麗しき霊感よ)

聴衆の多くは気づかなかったようだ。この改変に気づいた時、彼らはどう思うだろう。人類共有の感慨ととる人もいるだろう、人類共有財産への冒涜ととる人もいるだろう。
まあ、いい。第九がそうであるように、今日の演奏も、きっと一つの歴史的財産となる。そこに一つのフォルムが与えられていることも含めて。

だけど、やっぱりそれはギルベルトの実感とはずれていた。
あの若造にとっては何より大切であろう価値、シラーもベートーヴェンも尊崇した価値、だから確かに楽曲に込められているだろう思いとは別に、この歌が作ってきた思い出があるのだ。バイロイト祝祭劇場で、戦場で、ベルリンコンサートハウスで、そしてラジオで。二人でこの歌を聴いてきた。

――Ja, wer auch nur eine Seele(そうだ、地上にただ一人だけでも)
――Sein nennt auf dem Erdenrund!(心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ)

 

彼がいること。今隣にいること。

肩を寄せれば押し返してくる。横目で見ればくしゃりと笑う。

 

胸に溢れるこの気持ちをFreundeと言わずなんと言おうか!

 



 

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