※ご注意
・(アル・菊・アサ)+(フラ・ジャン)です。出てくるのは菊とフランシスのみ。
・仏ジャン至上主義の方にはお薦めしません。※ご本家とはちょっと設定が違います。
・歴史記述というか、歴史認識に絡む記述があります。
諸々、苦手な方はお戻りください。
「うんざりなんです!」
久々のワインに、またはその前々日まで続いていた修羅場に、箍が外れていたのだろう、菊はどんと音を立ててボトルをテーブルに置いた。
奮発したんだけどなあ、と手土産のそれをちろりと見やり、フランシスはついでもらったワインを口に含んだ。
「まあまあ菊ちゃん、お酒は美味しく飲みましょー?」
「お酒は美味しいです!」
「でしょ?」
「あ。ありがとうございます」
頂き物に礼を失した、と頭を下げる。このタイミングで頭を冷やせるのが彼のいいところであり、行き所を見失ったストレスが彼の胃に向かう原因でもある。分かっているのについ宥めてしまう。
菊との柔らかい会話は、欧州の面々の歯に衣着せない、どころか鉋で研いでるだろ尖らせてるだろお前ら特にそこの眉毛、というやりとりからすると実に心地いい。
くるくると展開する機知に満ちた会話、しとやかながら華やかな笑み、そしてありあわせですと言いながら出してくれた舌にも体にも嬉しい和風オードブル、あとは恋愛めいた言葉遊びがあれば、宮廷文化華やかなりし頃の舞踏会のようだ。
「おかたい」のを知っていながらちらりとそんな言葉をかけてみたら、地雷を踏んだ。顔が強ばった菊に「えっとごめん、いつもの冗談だからね?」と笑いかけたら、「もちろん、承知してます」とさっくりと切り捨てて、それでも寄った眉根はそのままにくいーっとグラスをあけてどぼどぼと手酌、そして先の台詞に至る。
「……そんなに嫌だったぁ?」
いじけてみせると、律儀な菊はふるふると首を振った。
「フランシスさんのことじゃないです」
「えー、じゃあ、色恋自体が嫌だって」
言うのまさか、と続ける前に、今度は強く縦に首が振られた。
「うんざりなんですよ、惚れたのはれたの、人のことなんてほっといてほしいんですよね。なんなんですか皆さん、訳知り顔に」
「あー、そっちか」
それはちょっと分かる。フランシスは、自分の恋愛は大好きだが他人の恋愛スキャンダルには大して興味がない。
「それに、ちょっと目があっただけ、ちょっと立ち話しただけで君はやっぱりあいつが好きなのかいとかその服は彼の好みだよねとかも……中2かっつうの!」
「あー…そっちでもあるわけ?」
それは「人のことなんてほっとけ」という、第三者に向けた文句とは違う話だろう。そして、14歳は言い過ぎにしてもまだティーンエイジャーであるあの男なら、確かに思春期特有の、過敏すぎて端から見るとイタい言動もやってしまうに違いない。
「まあ、それは、ねえ」
「なんですか」
「だって、ねえ。アルフレッドでしょ?」
「だったらなんなんですか」
「あいつあんまり恋愛経験ないしさ…。いっぱいいっぱいなんじゃないの」
「だから、そうだったらなんだっていうんです」
「菊ちゃんの方が大人なんだから、優しく見守ってやんなさいよ。恋愛は二人でするものでしょ」
「………」
がたん。
いきなり勢いをつけて菊が立ち上がったので、髪でも撫でてやろうと体を寄せていたフランシスは危うくぶつかりそうになる。のけぞったフランシスを見向きもせずに、菊はだんだんと足音も荒く玄関に向かい、鍵をしめた。…なに、今まであいてたの?とぞっとしつつ、そういえば「私は寝る前に戸締まりをするんですよ」「ひいい!」「いえ、流石に最近は在宅時も鍵をかけておくべきだと思ってはいるんですけど」ってな会話をしたことを思い出す。
「え?え、え?何、寝るの?」
菊はぴたりと足をとめ、振り返って叫んだ。
「引きこもらせていただきます!」
「はあ?」
「鎖国です、もう外交なんてどこともしないでオタク趣味全開で過ごします!」
「え。待って、俺は?」
閉じられた中にいるんだけど。
「…あー……。一蓮托生です。フランシスさんも一緒に清く正しく二次元に萌える日々を過ごしましょう?」
そんなとんでもないことを言いながら苦笑している。
ああほんとに、これが菊のいいところであり可哀想なところだ。もう頭が冷えている。
「ね。分かってんでしょ」
俺がいるかどうかの問題ではない。世界が網の目に絡め取られた今、しかもその中の主要国に数えられる菊が、全方位国交断絶などできるわけもない。だいたい、菊は、(世界を敵に回すつもりはないという捨て身のアピールなのかなんなのか)胃袋を世界市場にゆだねている。そんなことをしたら飢え死にだ。
「……はい」
素直に頷いた菊の頭をぽんと撫でて、そのまま台所に誘う。
「さっぱり分かってないんだけど、今の一瞬の世界危機は俺のせいなんだよね?」
「…」
首を曖昧に下に向けて、頷きはせずに、しかし肯定している。拗ねたような仕草が珍しい。理由が分からないから謝ることは出来ないけど、ひとまず機嫌を直して欲しい。
「まあ、あったかいものでも飲んで落ち着こう。簡単にスープでも作るよ。何がいい?」
「……味噌汁がいいです」
「それはちょっと作れないかな」
「じゃあオニオングラタンスープ」
おっと、それは確かに簡単だけれども、時間がかかる。まあ、座ってりゃ料理が出てくると思ってるどっかの坊ちゃんとか若造ではない、菊が言うのだから、承知の上ご所望なのだろう。
「玉ねぎを切るくらいします」
食器棚の引き出しから伊達らしい眼鏡を出して、菊は包丁とまな板を用意した。促されてダイニングテーブルの方に退避する。珍しい眼鏡姿がちょっとかわいい、なんて今言ったらまた地雷かなーと思いつつ、肘を突いてぼんやりと見ていたら、後ろ姿の菊は、玉ねぎを刻みながらいきなり言った。
「違うんです」
「なにが」
「いつから、誰からそんなお話が出たのか、どうしてそんなことを皆さんが信じてらっしゃるのか分かりませんが」
「だからなにが」
「――私とアルフレッドさんは、おつきあいしてません」
「………は?」
いや、それは、世界の常識なんですが。
「……と思ったでしょう今。どれだけ信じがたくとも現実と認識が食い違うなら、当然認識の方が間違いです。だって、そうなんです。私は彼に交際を申し込まれたことも、もちろん申し込んだこともありません」
しゃくしゃくと玉ねぎの薄切りは続く。
「……いや、それは、さ」
ちょっと言葉を濁す。
「…今更言葉はいらないよね?ってやつじゃないの」
「たいていは空気を読んで行う私ですが、交際の開始ばかりは、言葉あってこそでしょう。念のために言い添えますが、それ以外の交際に類する言葉も、行動もないです」
「行動?」
リズミカルだった包丁の音が一瞬乱れる。
「つまり……男女交際でするような、段階といいますか」
「ああ、つまり、キスしたりセックスしたりしてない、と」
がっ。包丁がまた乱れた。
「そうです。付き合ってたらそういうことをするものでしょう」
「あーまーそうだけど。なに、帰納法?そういうことを彼はしない、だから私達は付き合ってないって結論なの?」
それは単に「若造」から「小僧っ子」に評価を変えればいいだけなんじゃないだろうか。あいつは時々妙に清廉潔白ぶるから、まだ手を出しちゃダメだとか一人決めしてる可能性は高い。
「それ、どっちかというと演繹法じゃないですか。それはさておき――違います」
かっかっと玉ねぎをボウルに移して、またまな板の上に新しい玉ねぎを置く。
「――――私、アルフレッドさんがアーサーさんを好きなのを、知ってます」
「……」
返事に迷った。思わず浮いた顎を、二秒後、また手のひらに戻す。
「兄弟として、とか、そういうことだと言われるかもしれません。でも、ふとした折にアーサーさんに流す目線や、何も言わなくても心が通じたときの小さな笑顔を、私は知っているんです」
またさくさくと薄切り玉ねぎができあがっていく。菊は手の甲で眼鏡を押し上げた。
「誰かを好きな人と付き合ってることになってるなんて、最悪です」
「あー……」
顎を支えるのにもう一方の手も動員する。
「面と向かって言ってくれれば否定しようもあるのに皆さん独り合点してらっしゃるし、アルフレッドさんにもアーサーさんにもどう対応していいか分からないし」
また眼鏡を直した。
「………交替、しよっか」
「ありがとうございます、助かります。硫化アリルが強くて」
そういうと菊は刻み終えた分をボウルに移し終えてから横をすり抜けるようにして洗面所にたった。あと少し残っていた玉ねぎを薄く刻む。おなじみのつんとくる刺激が目の奥を刺す。
フライパンにバターを溶かし、ボウルの中身をあける。最初は強火で、そして、弱火に。洗面所からタオルを持ってきた菊は、さっきの俺と同じ姿勢で、タオルに顔を埋めている。それをちらっと確認して、目はフライパンに戻す。
「昔、情熱的な男がいてさ」
「貴方、ですか」
「いや違うやつ。そいつは、すっげえ俺のことが好きだったんで、ぶあっついラブレターを書いたわけ」
「はあ」
オニオングラタンスープは、ひたすら飴色玉ねぎを作る勝負だ。焦がさない、それだけのためにフライパンの前から離れない。
「『フランス史』、『ローマ史』、『民衆』。『女』ってのもあったな。それが、歴史家としてのそいつが、俺に向ける愛だったわけさ」
「………ジュール・ミシュレですね」
ウィとは答えず、火加減を調節した。
「菊ちゃんも経験あるだろ、俺らって、近代以前は結構知る人ぞ知るって感じで、一般人にはほっとかれてたよな」
「……私とヨーロッパの皆様が同じ話になるかどうか分かりませんが、私は、はい。むしろ近世にそういう感じですね。『国』と言えば藩を指しましたし」
「まず国ありき、その上司は、て順番じゃない。王朝が先にあって、その支配領域として国が確認されてきた。だから、『俺』を全国民が愛する、なんて感覚そのものがフランス革命以来なんだよ。だけど、その革命理念を心の裡にもっていたその男は、自分と同じような愛国心を歴史の中に見つけようとして、……発掘した。『フランスの恋人』、オルレアンの乙女を」
「………発掘、って」
そんな。小さな呟きがおいかける。
「そう言うしかない、だってそいつが言い出すまで、彼女のことはみんな忘れてたんだから」
「それは……でも、ミシュレが思い出させたとして、彼女が貴方を愛していたことは事実じゃないですか」
随分いい色になってきた。菊はこの炒め具合を「きつね色」とか「たぬき色」とか言うらしい。初めてタヌキを見たときには「この色か!」と口笛を吹いて周りに不審がられたものだ。それにしても、ここまで炒めたら硫化アリルの力も弱まる筈なんだが。
「菊ちゃん、今から言うことは明日には忘れてね。――あの子が好きだったのは、勝利王シャルルとドンレミなんじゃないかと、俺は思う」
言いながら、息を吐く。ずっと一人で抱えてきた疑念だった。いや、確信だった。
彼女はあんなにもランスでの塗油儀礼にこだわった。彼女の信仰は聖別された王に、動機は郷土侵略への憤りに―ナショナリズムではなくパトリオティズムにあったんじゃないか。
「だってさ……あの子、俺がちゃんと見えてなかった」
「見えてないって……どういうことですか」
「俺の方は見る。けど、焦点が合ってない。もう少し奥にあるんだよ。彼女の視線は俺を通り過ぎていく」
いつも。
そろそろいいだろうか。
バゲットをトースターに放り込んで、鍋には水と固形ブイヨン、白ワインを入れる。塩こしょうして、あくをすくいつつ味をみる。
「野営なんかの時に、時々俺の方を見ながら歌うんだよな。故郷の子守歌なんだろう、Cメジャーの素朴な歌。『ああ、見えてないなー』と思いながら、でも俺は、その歌が好きでさ……」
「フランシスさん……」
やっと眼鏡を外したのか、ことりと音がした。
「焦点まで分かるほど、彼女を見ていたのですね」
「…」
小さく、口角をあげる。見ていた、その表現は正確ではない。目を、奪われていた。
「――もともとその話だったんだよね、そういえば」
「え?」
「いや、なんでもない」
何を見ているか分かるほど、見つめちゃってるんだよな、と思ってさ。
アルも、菊も。
菊の観察は、多分間違いではない。アルフレッドはアーサーを好きなんだろう。同じように――アルフレッドが観察するように、菊だってアーサーを好きだろう。愛が一つでないことを受け入れるしかない、そんな風にしか国同士は恋愛ができない。
まあ、いい。別に応援したいわけでもない。フランシスは他人の恋愛には関心が薄いのだ。ただ、この可愛らしい友人が、片恋を煮詰めすぎて瓶に封じてしまわないといいなと思う。何せ、菊にも、アルにも、アーサーにだって、未来は開いている。可能性はいくらだってあるのだから。
永遠の片思いを抱いて、「世界が認める恋」の主人公を演じる俺とは違う。
「まあ、それでも、―――どれだけ苦しくても、愛自体を否定するなよ。と、お兄さんは言いたかったわけだ」
酔いと玉ねぎのせいにして泣きたいくらい好きなら、さ。
「彼女は――どんなに貴方を見たかったでしょう…」
菊はぽつりと呟いた。そうなのかもしれない。俺の名に祈っていた彼女は、もし俺をはっきりと認知できたなら愛をも捧げてくれたのかもしれない。だけど全てはifに過ぎない。恋は、死産したのだ。
「あっと。菊ちゃん、もうすぐできるスープのお礼に、さっきの世迷い言はほんと忘れてね」
この愛に、揺らぎがあってはいけないのだ。俺たち二人の結びつきを信じる国民のために。
「永遠の恋人、ということでいいんですね」
耐熱容器にスープとバゲット、チーズを入れて、オーブンに入れる。
「もちろん」
「……じゃあ、もし宜しかったら、それが焼けるまでの間、貴方の愛する人の歌を、教えてください」
小さく笑んで、菊の前に座り、夜だから小さな声で、明朗な響きのその歌を紡ぐ。
夜空に吸い込まれる打ち上げ花火のように、返されるのは静寂ばかりだとしても。
―――永遠に、君に贈り続ける。
愛の歌を。