我等が我等であった日々 |
※ご注意
真面目一方だと思っていた菊の意外な一面を見たのは、個人授業の時だった。 + アーサー宅の図書室は全ての壁に本棚を作り付けてある。採光のための天窓もステンドガラス装飾をつけてあり、知の蓄積が神へと至る階段であることが端的に感じられるようになっている。静謐さも好ましいこの部屋をアーサーはことのほか愛していたが、それを披露すべき友に恵まれることがなかったため、(傍若無人に乗り込んでくる隣人や元弟はおいておいて)初めて招待した相手が菊だった。 初めてこの部屋に入った時、菊は自分を取り囲む本とその匂いに圧倒されたらしく立ち尽くしたまま言葉を失っていたが、やがて「……すばらしい」とつぶやいた。 やっと対処になれてきたのか、それとも言葉をそのまま受け止めたのか、菊は「ええ」と笑った。そしてこの部屋での英語のレッスン、英文学の講義が始まったのだ。 + 「いえ………あの、その方の生まれ年です。語呂合わせできるなあ、と」 「……へえ」 「そのやり方で、ひとごろし、が出てきたわけか」 菊があんまり嬉しそうに拳を握るので、思わず笑い出してしまった。 すげえかわいかった。 もう少しでぽんと口から出るところだった続きを危うくとめる。 「あ、の。ええと、脱線しちゃってすみません。教えていただいていたのに」 実は菊は一度やらかしたことがある。 「繋辞という概念が日本語にはないもので…beと言ったりisと言ったりするだけでも混乱しているのに、『ある』だったり『そのようである』だったり……お忙しいアーサーさんに教えていただいているのに恐縮なのですが、なかなか上達しないです」 確かに国際・国内政治に忙殺されながら捻り出している個人授業の時間は、しかし既に息抜き以上のものになっている。カレンダの次回予定日についた○だけを支えに日々を乗り切っている。そんな気持ちが、少し怖い。想いをかけすぎると裏切られたときに倍辛い。その痛みを、既に知ってしまっている。 「いずれにしても、沙翁全訳のない一等国など他にないのですから、我が国も当代きっての文学者が訳業に取り組んでいるのですが…しばらくは原文で味わうしかない作品もあるようです」 発音に自信がない菊はしばらく困ったような顔で目線を泳がせていたが、アーサーが小さく顎をしゃくって促したのを見て、仕方なそうに手元の本を開いた。適当に開いた頁をそのまま読み上げる。 「……If I profane with my unworthiest hand this holy shrine,……」 ”もし私のとるにたりない手がこの聖なる場所を冒してしまったのなら”。読み上げた菊は、思わずといった調子で言葉を切り、そっと周りを見渡した。自己評価の低い菊は時々こういう顔を見せる。洋服を着た猿と嘲った過去の自分を殴りたくなるのはこういう時だ。 「続けろ」 「……『その罪に対して、私の両唇は、ちょうど二人の赤面した巡礼のようなものです、この手の粗野な振る舞いを償おうと待ち構えています』……」 菊はまた言葉を切った。目で促すと、しばらくの逡巡の後、そっと囁いた。 「………with a tender kiss」 微笑んで、会話を引き取る。 「『巡礼様、それは御手に対してひどすぎます。御手は品行方正で敬虔な心をお示しです』」 目を合わせたままそっと菊の手をとると、逆らわずに力を抜く。その手のひらをこちらに向けさせて、こちらのそれと重ねる。 「……『手のひらと手のひらを合わせるのが聖なる巡礼の口づけですから』」 机越しの手の触れ合いだけで、菊は頬を染めた。伝わっている。”お前の気高さを分かっている”というメッセージは。 そっと手を包み込むと、人差し指の横に固いものを感じた。 「ペンだこか」 そっと人差し指の横に口づける。 「菊は勉強熱心で、吸収も早い。そのうちここの本どれも読めるようになる」 菊のよくないところは、完全に分かっていないときでも、自分の了解した範囲で「分かった」のサインを出すところだ。けれども、今回はそれを狙って言った。いつか気づくだろうか、先の台詞が「恋の翼で塀を越えてきた」ロミオの台詞のもじりだと。 気づいてもいいし、気づかなくてもいい。 俺たちは敵対する家の子ではないし、なぜ彼が彼であるのかを問う必要もない。 菊が生きていること、そして菊が菊であること。 そして、ジュリエットと違ってそれを喜べる。 愛おしい。 この時間がいつまでも続くよう、菊の学習遅滞をこっそり祈った。 +
菊が英領植民地と同様「沙翁も分捕れ」と吠える、そのわずか数十年前のことだった。
疾く我等二人
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日英同盟(1902-1923)
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