※ご注意
 	     自作パロ。「お隣さん→同居アル菊」パラレルとほぼ同じ設定からスタートして、全然違う結末。
 	     ちょっとアレな展開。BAD-END!と銘打とうと考えて書き始めましたが私の心が折れたので最後ちょっと盛り返し。
 	      
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	       
 	      瓶底眼鏡を第二関節で押し上げて、本田は頬杖をついたまま侵略者を見やった。金髪碧眼に細い手足という絵に描いたような姿形をした少年は本田の隣に寝転がって漫画本の山を崩している。
 	       
 	      
            この部屋だけが本田を落ち着かせる城だった。大量の漫画にゲーム、テレビチューナー付きのPC。家と金を遺して早世した両親の他に家族はない、であれば部屋のドアの外であっても本田を脅かす存在などいない。そうであるのに、いやむしろそうであるから、本田はトイレや風呂以外で部屋から出ることがほとんどなかった。動かないから腹もすかない。一日に二度、ネットで大量注文した栄養補助食品をもそもそと食べ、同じく配達された飲料水を流し込む。
            生産性という言葉から遠ざかる競争のように、本田はただただ遺産を食いつぶしていた。
            いつか金もつきる。その時まで続く緩慢な自殺、と本田は自分の生活を認識していた。
 	       
 	      いきなりその窓がこじ開けられたのは2年前。塀の高さと屋根の高さが近いため、身軽な子供であれば二階のこの部屋に侵入するのは可能である、そのことを本田は経験で知っていた。だから、ああ、この子なら確かに来ることはできただろうと、最初に本田はそう思った。しかしHOWが分かってもWHYが理解できない。あきらかに日本人ではないこの少年にそれを聞く手段があるのかも分からず、菊は侵入者を前にただ黙っていた。
 	        「……ごめんなさい、人が住んでいたんだね」
 	        空色の目の少年は窓の外で肩をすくめた。少年が何年かぶりに動かした分厚い遮光カーテンの間から届く日光が眩しい。そういえば今日は日曜だったか。しかしいつから窓の鍵をかけ忘れていたのだろう。
 	        「はい、一応」
 	        本田の応答は侵入者に対するものとしても子供に対するものとしても不適当であったが、立ち去れと怒鳴ることも屋根は危険だと気遣うことも忘れて、本田はぼんやりと少年を見続けた。
 	        「僕はアルフレッド。キモダメシって言うの?友達の中でこの家が話題になって、偵察先遣隊ということになったんだけど……本当に人が住んでるとは思わなかった。ごめんなさい!」
 	        庭は荒れ放題の筈だから小学生が見れば空き家と思うものかもしれない。
 	        「いえ…」
 	        頭を下げた殊勝さを見せたかと思えば次の瞬間にはうわあと部屋を見回して
 	        「すっごいたくさんのマンガ本…!!いいなあ…!」
 	        そんな言葉にやっと相手が子供だと言うことを思い出した。
 	        「あの…そこは危ないので…」
 	        「あ、入っていい?」
 	        逆だ、と突っ込む間もなく、相手はよいしょと窓に乗り上げた。かろうじて靴は脱いで、ぴょんと飛び込んでくる。子供らしい身軽さで本棚にかけよって。
 	        「あ!これ、この前最終巻が出たやつだ!ねえここの漫画、全部お兄さんの?」
 	        「ええ、まあ」
 	        そこで少年は首を傾げた。
 	        「あれ、じゃあ買いものに行ったりしてるんだよね。なんで人が住んでいないなんて話になったんだろ」
 	        「…お友達が家の前を通る時間には出入りがないからでしょうか」
 	        正確には宅配が来るのが、だが。
 
 	        まあ多分、と本田は思う。家という建物は、中身によってにおいを変えるのだろう。小学生たちはこの家の腐臭をかいだのだ。
            「読んでもいい?」
            答えを聞く前にもう引き出している。本田は「ええ、まあ」と言うしかない。
            全10巻のマンガ本に没頭し始めた子供が自分の邪魔にならないことを悟って、本田は手元の漫画に心を戻した。
 	      アルフレッドの腹がぐうと鳴って、初めて二人は時間の経過に気づいた。
 	        「…もうこんな時間でしたか…」
 	        子供がそろそろ帰るべき時間であることくらい、本田にも分かる。
 	        「うん、おなかすいた…」
 	        そう言いながら、しかしアルフレッドは立とうとしない。取り組んでいた続き漫画がまだ1巻ちょっと残っている。ぐずぐずとしぶるアルフレッドに菊はかける言葉を持たない。貸し借り、はしたくない。人との約束を作りたくないのだ。
 	        「また来てもいい?」
 	        「はい?」
 	        なんですって、との気持ちを込めて菊は返事をしたが、アルフレッドは意を汲む努力を見せなかった。
 	        「ね、いい?」
 	        なんていいことを思いついたんだろう、ときらきらした目が言っている。
 	        「……あの、この部屋はそんなに広くないですし……」
 	        「ああ、友達は連れてきちゃだめなんだね?」
 	        当たり前だ、そんな心配、想像すらしなかった。
 	        「……私は静かにしていたいので…」
 	        「分かった、ここに来ること、秘密にする。お兄さんのこと誰にも言わないよ」
 	        それも想定外の方向だ。しかもいつの間にか「来る」ことが前提になっている。
 	        「お兄さん、名前なんて言うの」
 	        「……本田です」
 	        「ホンダさん、だね。よろしく」
 	        ぶんぶんと手を掴んで振って、アルフレッドは靴を掴んでまた窓から去っていった。
 	        本田はしばらくその窓を見つめ、カーテンの隙間から手を伸ばして鍵をかけた。
 	       
 	      おかげで翌週の来訪はけたたましい音が伴った。どんどん。どんどんどん。
 	        「開けてー。開けてよ本田さん!」
 	        どちらがいいのか迷った末かけた鍵を、本田は仕方なく開けた。
 	        「ひどいや」
 	        頬を膨らませつつアルフレッドは窓を乗り越える。
 	        ひどいのだろうか。そう言われればそうかもしれない。約束などしたくなかった。それなのに鍵を開けたままにすれば約束をしたような気になるに違いなかった。だけど開くと思っていた窓が開かなければ子供は動揺するに違いない。足場の弱い屋根の上で。それはやっぱり年長者としてとるべき態度ではなかった気がする。
 	        考え込む本田をよそに、さっきの文句ももう忘れた侵略者は早々に目当ての漫画を取り出して読み始めている。まあいい、静かにしてくれるのだ。本棚には見られてまずいものも特にないから、放置することにした。ただ前回の轍を踏むまいと目覚まし時計を夕刻に設定し、本田はヘッドホンでゲームを始めた。ただ敵艦を爆破していく単純なゲーム。ルールは簡単だが画面や動きはよく作り込まれている。やり慣れている本田は早々に初期ステージを終え、第二ステージに突入した。
 	        ふう、と息をついたところで隣に気がついた。いつのまに来たのか、漫画本は床に投げ出したまま、目をまん丸にして画面に見入っている。
 	        なんだ、この子は。
 	        不気味に思いながら画面に目を戻し、コントローラを操って敵機を駆逐する。ぬかりなくボーナス点を拾いながら、敵の機銃掃射をかいくぐり、艦船の中でももっとも脆い場所をピンポイントで攻撃する。連鎖で大爆発が起こるとそれに巻き込まれないように急上昇してセカンドステージもクリア。息をついたら隣から拍手が起きた。
 	        「すごい!すごいね本田さん!」
 	        「…はあ…」
 	        「こんなうまい人、友達のお兄さんにだっていないや!すっごいねえ!」
 	        また目がきらきらしている。すっかり居心地の悪くなった菊は、コントローラを差し出した。
 	        「やりたいなら、どうぞ」
 	        「え」
 	        「リセットしますから」
 	        操作をし始めた本田にアルフレッドが悲鳴をあげる。
 	        「やめて!途中でやめるなんてやめて!」
 	        「どっちですか」
 	        「このまま続けてよ!見ていたいんだ」
 	        「はあ…」
 	        他人がするゲームを横で見ることの何が楽しいのかさっぱり分からず、しかし強く推された以上途中放棄もできず、仕方なく本田はゲームを続け、高得点でクリアした。また大拍手が起こる。本田は微かに眉をひそめた。褒められるようなことじゃない。どうすればこう終わるかを熟知しているゲームだというだけだ。予測のつくことしかしたくなくて、ゲームをするならこれと決めている。
 	        アルフレッドは興奮している。尊敬が目にあふれている。やっかいだ。なつかれるのはごめんだ。
 	        「あの…したいゲームあったらしていいですよ」
 	        どうぞ、とコントローラを差し出したら、また頬を膨らませた。
 	        「本田さんがしているのが見たい」
 	        「対戦型のもありますが」
 	        コントローラをもう一つ取り出し、苦手としている野球ゲームをセットする。
 	        思った通り、アメリカ人のDNAに恥じず野球好きだった少年は、コントローラに慣れなかった初期こそ空振りを繰り返したが、子供らしい勘と野球好きの根性でホームランをかますようになった。本田は内野安打で地道に稼いだが結果は6−5で少年が勝利した。
 	        これで余計な尊敬の念など捨ててくれたろう、と安堵のため息をつけば、勝った喜びとゲームの楽しさでハイテンションになった少年は飛びついてきた。
 	        生まれてこの方、人に飛びつかれたことなどない本田は固まった。本田さんすごい!俺もすごい!と訳の分からないことを叫びながら、少年は本田の手を振り回す。
 	        逆効果だったことに今更ながらに気づいた本田は、体の力を抜いて抱きついてくる少年のなすがままにした。
 	       
 	      それ以来、アルフレッドはやたらと抱きついてくるようになった。
 	        それぞれ漫画を読んでいても、ふとした隙に膝に寝転がられたりする。
 	        子供の高い体温に辟易した本田は、遠回しに――代わりにクッションを差し出してみるなどしてアルフレッドを遠ざけようとしたが、そのクッションは抱き枕に回し、がんとして膝から降りようとしない。
 	        さすがの本田もこれは言葉にしなければ伝わらないのだと悟った。
 	        「あのですね」
 	        咳払いをした本田を、真下からアルフレッドが見つめる。
 	        「……僕んち、お父さんいなくてさ」
 	        気勢をそがれた本田の腹に、アルフレッドは顔を押しつける。
 	        「こういうこと、ずっと、あこがれだったんだ」
 	        「…私は、さすがに貴方のお父さんにはなれません」
 	        本田は主に体格のことを言ったのだが、
 	        「分かってる。お母さんの好みじゃないし。お母さん、男の趣味悪いんだ」
 	        全く違う答え方をされてしまった。そういう発想はなかった。
 	        「アメリカ人のお父さんとは、息子の手本となるようなものではないのですか」
 	        そういう意味でも、父親役など手に余ると言いたかったのだが。
 	        「日本人は違うの?」
 	        また予想外の応答がきた。
 	        「―――さあ、どうでしょう」
 	      一般的にはどうなのか分からない、しかし本田は父を尊敬していた。母のことも大好きだった。家族で出かけた海外旅行の最終日、ただの記念写真におさまるはずの観光地はいきなり修羅の場と化した。誰も予想しなかった自爆テロだった。
 	      外は怖い。外に出れば憎悪が飛び込んでくる。奇跡的に生き延びた本田はそのことを脳髄に刻んだ。
 	      深刻なPTSDの治療にと帰国後も病院に通わされたが、親戚が世話をやかなくってからはそれもやめ、後はただ死の家にこもっている。
 	      なんとしても膝から頭を離さなかったアルフレッドが、急に体を起こして伸び上がった。え、と思う間もなく、本田の頬に柔らかいものがあたる。
 	        「僕、よくないことを聞いたんだね?」
 	        その聡さに、そしてその行動に呆然としてしまい言葉が出ない本田に、アルフレッドは抱きついた。
 	        「お父さんはよく分からないから――お母さんになってあげる」
 	        そんな無茶な、と笑おうとして、本田はしかし声が出なかった。
 	        アルフレッドは、多分いつもされているように本田の背中を優しくたたきながら英語の歌を歌い出した。
 	      体温はいらないと思っていたのに。
 	        誰かが死ぬのがいやなら、そんな風に情を掛ける「誰か」を作らなければいい。誰とも付き合わなければいい。その一番簡単な方法は自分が消えることだと分かっていたけどそうする勇気も持てなくて、緩やかに死になじもうとしていた。
 	      栄養満点の補助食品のせいで死からは遠い、けれども基準値を下回る摂取量のせいで痩せぎすの腕をそっと回せば、アルフレッドはもう一度やさしいキスをくれた。
 	       
 	      それから1年。
 	        中学生になったのにアルフレッドはなかなか背が伸びず、子供らしい外見を保ったままだった。母親の帰りが遅いから平気だと帰宅時間は引き延ばされた。そうなると塀・屋根伝いの来訪は危険だろうと、本田は合い鍵を渡した。本田のスタンスは相変わらず「来るもの拒まず」で、自分から部屋を出てドアを開けに行く気はない。ジュースを出してやるでもない本田の家にそれでもアルフレッドは通い続けた。
 	        遮光カーテンの作る暗闇に人工の光をともして、二人はそれまでと同じようにおのおの漫画を読んだり、ゲームをしたりした。
 	        本田が寝そべる横に漫画を読むアルフレッドが並び、そのうちに腕の力を失って漫画本がぱさりと顔にかかる。そうなったら毛布をかけてやって本をどかす。寝ぼけたアルフレッドが抱きついてくるので、ああ、まあいいか、と本田も本を置いて昼寝に入る。だらだらとそうやって日曜の午後を過ごし、目を開ければ金色の睫に縁取られた空色の瞳がこちらをじっと見ていたりする。
 	        かみさまはいないけど天使はいる。
 	        うっかりそんな言葉を思い浮かべてしまうほどそれは綺麗で、うっとりと眺めていたら次第にそれが近づいてきて、目を閉じるしかなくなる。子供の、だけどどこか大人びたキス。何でこの子はこういうことをするんだろうと考えて、ああ、と思い出す。
 	        「………おかあさん…」
 	        なってくれると言った。骨しか残らなかった人の代わりに。
 	        抱きしめれば、細い、けれどもきちんと重みのある体がそこにある。
 	        掴んだと思った瞬間消えていくあの悪夢とは違う。
 	        アルフレッドは微笑んで小さな手で抱き返してくる。こんな小さな子にすがる自分は滑稽だろうと思いつつ、本田はその手を離せない。
 	        自分はお父さんの代わりなのだから、と本田は思う。流石に高い高いなどしてやれないが、アメリカ式のスキンシップくらいは返さなければフェアじゃない。
 	        額に口づければアルフレッドは瞬きをして、それから、花が咲くように笑った。
 	       
 	      アルフレッドが第二次性徴に関する相談を持ちかけてきたのは突然の邂逅から二年が過ぎようとしたころだった。
 	        「学校で習うでしょう」
 	        授業でも、友達にも。そう言って流そうとした本田だったが、アルフレッドは食い下がった。
 	        「よくわかんなかった」
 	        友達はみんな、俺はまだ知らなくていいって言うんだ。そういってアルフレッドは頬を膨らました。
 	        「じゃあまだ知らなくていいんじゃないですか」
 	        「みんな」が思うように、本田も、まだこどもこどもしたアルフレッドが女の子相手にどうこうする時期ではないだろうと思う。もっとも、相手がいる段階でないとしても、夢精も自慰も別に恥ずべきことでもない、くらいは知っておいた方がよいのかもしれないが、性倫理を教えるなんてますます自分の責ではないと思う。そこで本田は流そうとした。が、腕をとられる。
 	        「おとーさーん」
 	        …ここでそれを発動するか、と本田はむっとする。母子家庭の息子として育とうがそうでなかろうが、現代の日本で性の知識に偏りが出るとは思えない。本田だって親から何を習った覚えもない。
 	        「貴方ねえ、何を知りたいっていうんですか。私に性行為をして見せろとでも?」
 	        「え」
 	        アルフレッドは顔を真っ赤にした。しまった、子供相手に言葉が過ぎた。しかしどう繕えばいいかも分からず心中でのみ焦っていた本田の横を通り抜け、アルフレッドは「帰る」と部屋を出た。
 	       
 	       
 	      それからしばらくアルフレッドの来訪が途絶えた。本田のスタンスは「去る者追わず」でもあったから、ただ「来ないな」と思った。それ以上何をしようにも、部屋から出ない本田はアルフレッドの家の位置さえ知らない。毎週当然のように隣にあった体温がなくなり、その熱エネルギーのマイナスはただでさえゼロに近い本田の活動意欲を削った。見苦しくないように自分で散髪していた髪も目にかかり鬱陶しく思うようになった頃、玄関のチャイムがなった。
 	      
 	                 
 	      「……なんのことかわかりません」
 	        本田にはそう答えるしかなかった。金切り声で英語混じりの日本語を叫ぶ女性と、「こちらの隣の者なんですが」と児童相談員の名刺を渡した中年の女性。ここ5年ほど人の立ち入ることがなかったせいで変な匂いのするリビングに二人を通し、お茶の葉も何もないからひとまず水をコップで出して、あとはただ奔流のような喚きを耳から耳へと受け流した。
 	        「つまりね、この方の息子さんに対して、貴方が、その」
 	        「いやらしいことをしたに違いないのよ!」
 	        「漫画やゲームで釣って、部屋に連れ込んだと仰っていて」
 	        「…はあ」
 	        「はあ、じゃないのよ!この薄汚いホモ!」
 	        薄汚い、のは少々自覚があったが、ホモと言われ、数秒理解が追いつかなかった。
 	        「……あの……アルフレッドのことですよね…?」
 	        「わ、わたしの息子の名前をその汚らわしい口で呼ばないで!」
 	        アメリカ人の女性はつばを飛ばした。
 	        頭に血が上っている彼女を宥めつつ、中年女性は質問を向ける。
 	        「アルフレッド君を知っているのですね」
 	        「…はあ、まあ…」
 	        「部屋に、連れ込んだんですか」
 	        「…………部屋に来てはいました」
 	        「接触しましたか」
 	        「せっしょく」
 	        「つまり……抱きついたり、キスしたり」
 	        「………」
 	        思わず黙ってしまった本田に、平手が飛んだ。
 	        「落ち着いてください!」
 	        中年女性が強く諫めるが、こちらを見る目の温度は下がっていた。
 	        「性的な発言をしたり、見せたりすることも児童虐待にあたります。どうですか」
 	        「………」
 	        「性的接触――性器を触ったり触らせたりは?」
 	        「まさか!」
 	        本田は顔を上げたが、女性は冷たくこちらを見たままだった。
 	        「訴えを受けまして、調査したんですけどね。アルフレッド君のお友達はみんな「秘密があること」しか知らなくて。ご近所には実際アルフレッド君が出入りするのを見たという方もいらして、でもいつもカーテンが引かれていて何をしているか全く分からないと。その上貴方ご自身についてもちょっと評判が宜しくなくて…オタクだって話だし、精神科の通院歴もありますね?」
 	        「……彼自身は何か言ったのですか」
            「ええ、まあ……。でもあの年代の子供に、それが自由意志だと思い込ませることなんて簡単ですからね」
            「こいつがだましたに違いないのよ!あの子が、あの子、…あんなこと!」
            「……その、アルフレッド君がですね、貴方の名前を呼びながら、あー、いかがわしいことをしていたと仰っていて」
 	      本田の思考は数秒停止した。アルフレッドが?
 	      「……おかあさん……」
            なってくれると言ったのに?
 	      思わず口から漏れた言葉に、中年女性の機嫌はますます悪化したらしかった。
 	        「貴方はもう成年ですね?青少年健全育成条例はご存じですね。誰にも頼らず、責任をとるべき立場だと言うことは分かっていますね」
 	        「…」
 	        分かっているかいないかと聞かれれば頷くしかない。そもそも頼れる人などいないことはよく分かっている。最初から一人なのだ。ここ数年違うような気がしていたけど、それはただの勘違いで、やっぱりただの一人。
 	      誰かがいなくなるのがいやなら、「誰か」を作らなければいい。誰とも付き合わなければいい。
 	        分かっていたのに、それを破ったから。アルフレッドは子供で、本田は大人になることを拒否ししていて。そんな二人に互いの親の役など引き受けられるはずもなかったのに。
 	        無理が無理を呼んで、変な形で綻びた。
          
 	      それからのことを良く覚えていない。
 	        女性に連れられて警察に行った。何も話さないまま不起訴になったが、新聞にも書かれた。存在を忘れかけていた親戚になじられた。
 	       
 	       
 	      普通だったらいたたまれなかっただろうがどうせ誰とも顔を合わせることもないのだからとその家に住み続けた。10年の歳月が過ぎ、流石に趣味に合わなくなってきた少年漫画の世界から無尽蔵に思われる小説の世界にシフトして、ひたすら本田は消費を続けた。
 	       
 	      何も生まない、何のつながりも生まれない。だから何も悲しくない。
 	       
 	      ベッドに寝転がって小説を読んでいたら、どこかでドアが開く音が聞こえた。気にせず読み続けていたが、足音が近づいてくる。泥棒か。強盗の方がいい。できればパニックになりやすい人が。そしたら、緩慢な自殺を終えることができる。
 	      驚かすためには本を読んでいちゃだめだろうと、本田はドアの前にたった。
 	        かちゃりと音がして、本田の城に四角い穴が開く。
 	      「………アルフレッド…」
 	      ひよこと鶏ほどに外見が変わっていたにも関わらず、本田は一瞬でそれと分かった。もはや本田の背を越したアルフレッドは、大きなストライドで本田に歩み寄り、がばりと抱きしめた。
 	        「ごめんね」
 	        「…はあ…」
 	        「あの頃、子供でごめん」
 	        「……そんな仕方のないことを謝られても……」
 	        「だって、すごく悔しかった。何もできなかったし、何も聞いてもらえなかった。俺が一方的に好きだっただけだって、何度も言ったのに」
 	        「……はあ…」
 	        「どう償っていいのか分からない。名誉を傷つけたし、――何より、本田さんを裏切った」
 	        「…いえ、償って頂きたいとか思っていませんので…」
 	        論理的に言ってアルフレッドに賠償責任はない。
 	        「させてよ。それだけを目標に急いで大人になったんだ。お母さんも趣味の悪い男に押しつけてきたし、日本での仕事も見つけた。一生引き受ける」
 	        アルフレッドのスーツにしわができそうで、本田は身じろぎした。
 	        逃がすまいと思ったか、より強い力で締め付けられる。
 	        「か…」
 	        「うん」
 	        「勝手なことばっかり言って――っ」
 	        「うん」
 	        「勝手に飛び込んできて、勝手にくっついてきて、勝手にいなくなってっ」
 	        「うん、ごめんね」
 	        「その上私の将来のことまで勝手に」
 	        「うん。お願い、そばにいて。そして、最大の勝手で、でも認めて貰わないわけにはいかないのが」
 	        「まだあるんですか」
 	        「本田さんを好きだってこと」
 	        本田は絶句した。
 	                  「――もう、絶対、いなくなったり、しないから」
            また想定外のことを。そう言おうとして本田の喉は詰まる。
 	                  「いなくならない、本田さんのそばからも、この世からも。だから、本田さんも自殺やめて」
            「……なんで知ってんですか」
            思わず顔をあげた、その拍子に涙が一粒転がり落ちる。
            「え、勘?」
            「わけわかりません…」
            くしゅ、と眉をしかめると、そのせいで涙がまたぽろぽろと落ちた。
            「ついでに勘で言うけど、――本田さん、俺のことそれなりに好きだよ」
            くもりかけた瓶底眼鏡を外して、手を背中に回す。あの頃と違って、回りきらないほどの大きな背中。こんなにも違ってしまった姿形と、変わらない瞳の色。変わらない、まっすぐな言葉。
 	       
 	      それにしても、聡い聡いと思っていたけど、「それなりに」程度と思ったは、さほどでもなかったらしい。