Jesus bleibet meine Freude

 

※ご注意
↓妄想派生SSS。パラレル。ファーストフード店員菊とビジネスマンアル。毎度のことですが、アル別人警報。

the本絵2

 

業務改善指導役として本社から派遣されてきた外国人など憎まれるのが当たり前だ。
憎まれ役には慣れている。オランダ支社だろうがインド支社だろうが、マニュアルに従って判断・指導、合理化を図っていく。そういう仕事なのだ。

一ヶ月赴任の短期決戦だから仕事は濃密かつ長時間、日本支社ビルを出るのは深夜。「世界どこでも同じ味」のドライブスルーに車を回す。ポテトもジュースも量は本国より少ないけれども(最初はサイズを間違えられたかとクレームをつけてしまった)、深夜だからちょうどいい、そう思うことにしている。

そう思うことにして、毎日通っている。

 

「340円のお返しになります」
深夜担当らしいいつもの男性店員が釣り銭を渡す。落とさないよう左手を添えて、掌の真ん中にそっと。

人間の体は皮膚の外側にもう一枚、その人の空気の層があるんじゃないかと、初めてこの店に来た時、思った。

いや、あるのだと感じた。

肌は触れあっていないのに、彼の空気の層が俺の掌に触れる。それだけで掌が熱くなる。

「…ねえ」
声をかけたら、店員はびくっと肩をふるわせ、右手の指を開いてしまった。
「す、すみません!」
商品を受け取るために最大限に車を寄せているから、ドアを開けて拾うことはできない。
車の中に数枚、外に数枚。どっちにしてもたいした額じゃない。
「いいよ別に」
「いえ。失礼します」
す、と指を伸ばして掌に残ったコインを数え、残りをレジから出して渡した。
「大変失礼いたしました。落ちた分はこちらで拾いますので、お気になさらないでください」
「いや――」
後続車はいない。店の中にも客はまばらで落ち着いている。
「車動かすよ。悪いけど商品はあっちに持ってきて」
「あ、いえ」
返事を聞かず、車を出す。ウェイトスペースに車を止めてドアを大きく開いたら、街灯に白く光るコインが足下に見えた。
ほら、やっぱり。100円硬貨が内側に落ちたの見えたんだ。
拾い集めて、先ほどの窓の下に戻る。そちらに落ちていた数枚のコインは既に出てきた店員が拾い終わっていた。
「やっぱり、中に落ちてた」
「ありがとうございました、わざわざすみません」
差し出された店員の手に左手を添え、右手で硬貨を返す。

空気の層に触れて今度は左手が熱くなる。

「悪いね、驚かして」
サイズが違う、とクレームをつけられた記憶が災いして手を滑らせたに違いない。
「いえ、とんでもない。――何か?」
いつも見上げていたから気づかなかった。俺の目のラインよりつむじがしたにある。見上げるので若干辛そうにしながら、それでも微笑を絶やさない。
雪を溶かすようなその笑顔。

「君の笑顔は、商品なのかな、と思って」
「は?」
「――ごめん、変なこと聞いた」
「は。いえ」

ホックシールドは感情抑制が業務のうちと考えられる対人サービス業を「感情労働」と呼んだ。看護師、カウンセラー、苦情処理係。生身のまま向き合えば心が折れてしまうから対処法を定めてそれに従う。皮肉なことだが、人は自らを機械だと考えた方が人間らしさを保てるものなのだ。
全てがマニュアル化されているこの店だから、クレーム処理も、あの馬鹿丁寧なお釣りの返し方も――トレイに入れてくれる方がよっぽど合理的だ――釣り銭を落とされたときの対処法も全て決められたことに違いない。

分かっているけど。目の近くの何かが溶かされるような気がする。

そこで窓から呼び声がかかった。
「――この店で働いている以上、商品でもありますが」
開かれた窓から女性店員が渡した紙包みを、彼は受け取って「どうぞ」と渡した。
「つられているんだと思います」
「え?」
「お客様、いつもお受け取りになるとき、とても嬉しそうに笑って下さるので」

そう言って店員は照れたような笑顔を見せた。

「俺――笑ってたっけ」
「ええ」

笑ってたんだ。

そんなこと、派遣先ではしないと思っていた。憎まれ、こちらも馴染みはしない。どこの土地でもそんなドライな関係を保つために、食事だってファーストフードで済ませていた、つもりだった。

「俺の商品は、人の笑顔を刈り取る死に神の鎌だ」
「は?」
「……人をクビにして、俺は飯を食ってる。笑顔なんて――してちゃいけない」

許されない、そう思う。人の感情を壊す代わりに、自分の感情など殺す仕事。

店員は少し悲しそうな目で首を傾げた。切りそろえた横の髪がさらりと頬にかかる。

「……私は、よそをクビになって笑顔を貼り付ける今の仕事になりました。私、本当はあまり笑うのが得意ではないんです」
「…」
「多分、自然に笑えているのは一日の最後、お客様の時だけだと思います」

名前を呼びたかった。だけどプレートに書いてある名前は多分呼んでいいものではない。彼は店員で、自分は客。彼だけが名前をさらしている、この関係はフェアではない。

「私からも貴方からも微笑みを取り上げないで頂きたいんですが」

溶けた何かがこぼれ落ちないように天を仰ぎ、呼べない名前の代わりに、主の名を呼んだ。

 

――神様、彼への笑顔を、せめてそれだけを、罪深い俺に、許してくれますか。

 



「ところでお客様、せめて3回に1回はサラダセットになさった方が」(←当サイト仕様)

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