※ご注意
WW2前中後の歴史ネタです。リアルが苦手な方は最初から最後までだめだと思います…。
北風と太陽パロ、アルフレッド→菊(→王)のヤンデレ。かなり読後感悪いです。
「全く、使えないな!」
脳裏に浮かんだ禿頭にShit!と吐き捨て、アルフレッドはタイプ文書を卓袱台にぽんと放り投げ、そこに転がっていたキャンディを手に取った。セロファンをはがすとぱりぱりと音がする。
「何がですか…?」
腕の中で子猫ちゃんが――菊が顔をあげる。
「なんでもないよ」
菊が思い煩うようなことではない。少なくとも、今は。
再来年……朝鮮半島の情勢によっては来年にはもう働いてもらうことになりそうだけど。ああ、そうだ、あの男も使えない。ヨンスもしばらくぶりに迎えた上司があんな男では右往左往させられて大変だろう。
それを言うなら王もだが。長い内戦に決着がつき、とうとう彼の旗は赤くなった。5億の人口を抱えて体制を一挙に変えるのは容易ではあるまい。もっとも王の心配などする気にもならない。飄々と生き延びてみせるに違いない。
英文タイプの内容が極東情勢関連だと察しているのか目に不安の色を残したままの菊に、キャンディを差し出すと、目線がそれとアルフレッドを往復した。唇につけてやれば、ひるんだように少し引き、おいかけて来たキャンディにおずおずと舌を出す。
「あまい…」
菊はうっとりとつぶやく。
「美味しい?」
「はい」
「食べちゃっていいよ、口を開けて」
「え」
「ほら」
あーん、と口を開ければ素直に従う。丸いキャンディをすぽんと口の中に差し込んでアルフレッドはあいた両手を菊の体に巻き付けた。
まだ細い。傷は随分癒えたけれども――あの大やけどにさえ薄い膜が張った――だけど、まだ痩せぎすなままだ。
糖分に飢えた菊に、アルフレッドが持ってくるキャンディだのチョコレートだのは魅惑的だ。しかし、それが欲しいから…というのでもないだろう、単に疲れ切っている菊は、膝の中に抱き込まれても指にくすぐられても抵抗を示さない。
ちょうど前にあった耳朶を口に含むと、菊は息を止めた。
「菊が甘いものを舐めてるから菊も甘いんだぞ」
舌でころがすと、感じやすい菊は身じろぎをした。体はアルフレッドの脚の中にあるから逃げようがない。手を回して顔を向けさせれば、困ったような目でこちらを見る。
「菊」
意識して低音でささやけばそれにさえ反応したように菊は小さく震えた。
「美味しい?」
「はい」
軽く唇に触れる。
「痛くない?」
「はい」
今度は舌を差し込む。噛まれることはないと分かっているから、大胆に動かして、菊のそれと絡める。さすり、突き上げ、回し、吸う。間で溶けきれないキャンディがころころと転がる。
解放すれば、菊の薄い肩がはあはあと上下した。
「キモチいい?」
「…はい…」
まぶたに口づけ、手を袷から差し込んで肌をまさぐる。
「あ…」
おもわずと言った調子でもれた言葉に気をよくして、しつこく胸の飾りをいじれば、菊は目を閉じて額をアルフレッドの肩につけた。
「怖い?」
「…いえ」
「怖くないよね、俺が守ってあげるんだから」
「はい」
「キモチいい?」
「ええ」
じゃあ、と手を下にすべらして内股に触れば、菊の手はアルフレッドのシャツを握りしめた。
「キモチいいよね?」
「ええ…」
反復は力だ。何度でも言う。何百回も囁き続ける。そして埋め込むのだ、アルフレッド=快楽という方程式を。
巷では明るい歌が流行っている。映画は「戀しい」と書くべきところを「變しい」と書いた登場人物を笑い、青い山脈を振り仰がせる。けれど主題歌に出てくる「雨にぬれてる焼けあと」は「焼け跡」だ。それを早急に消して、菊の脳内情報を塗り替えなければならない。俺の位置づけと、恋の在処とを。
あの夏、焼け野原になった東京で菊と向かい合った。
既に菊は降伏の意志を示しており、敵意はその疲れた笑顔のどこにも無かった。
それでも、菊は言った。
「子供も、女性も――たくさん死にました」
「…」
目線をそらして、菊は続けた。
「そして貴方は、言葉も焼いた――」
長い時間をかけて編まれていた二つの辞書の組み版が焼けたのだという。
一つは『辞苑』という百科的記述も取り込んだ辞書を改訂したもの。日中戦争が始まる以前から進められていた改訂作業だったという。
もう一つは更に長く、大正末から稼働していた長いプロジェクトで、完成すれば世界最大となる約5万字を納める大漢和辞典。主たる編纂者は失明し、奇跡的に残っていた校正刷りをもとにプロジェクト再開の機運はあるが、完成の目処はついていない。
「――王には辞書より賠償金をあげるべきじゃないかな」
「…そうですね、民間人を殺したのは私も同じ…」
がしがしと額を拭いて、菊はその話をやめた。
知っててやったわけじゃない。合理的という言葉を愛するアルフレッドは木と紙で街ができている日本では焼夷弾を用いたから、精度を持った攻撃などできなかっった。狙ったわけじゃない。
けれども、――焼けてもかまわないとは思っていた。
菊の中に色濃く残る王の影。
菊自らの手で切り捨てた王に、菊は未だ囚われている。
その一つの証があの悪魔の文字だ。
教育水準向上のためにと明治期から漢字合理化(略字使用と字数制限)の動きは絶えずあったのに、結局実現しなかった。戦中には日本語文化圏をうち立てんとむしろ合理化の動きは高まったが、保守派の抵抗も強まり結局実現しなかった。
捨てなよ、そんなもの。日本語と中国語は違うんだろう。しかも君は自前の文字も持ってる。だったら要らないじゃないか。
パールハーバー以後でさえ菊の情報はほとんど筒抜けだったから、アルフレッドは報告のタイプ文書を苛々しながら読んだものだった。
ねえ、俺も王も同じく敵なんだろう。
なのにどうして俺の言葉を捨てて、王のは捨てないんだ。
「暴支(膺懲)」と「鬼畜米英」。なに、この違い。王の方は状態で、俺らは本質がだめだってことか。
捨てろ。王を捨てろ。囚われるのをやめろ。
絆など―――焼けてしまえ。
手を取り合い抱き合った二人の時間、アルフレッドが生まれるより遙か以前から続いていたその時間さえ焼き払いたくて、焼夷弾を落とし続けた。
焼かれても焼かれても、刃を交えても、菊は変わらなかった。
「菊」
「はい」
可愛い菊。従順な菊。火傷のことを言おうとした唇に、人差し指をおけば素直に黙る。
「菊」
「はい」
口づければ飴の甘さが分かち合える。
「キモチいい?」
手を動かせばこくりと頷く。
「ちゃんと言って」
「はい。キモチいいです」
「もっと欲しい?」
「ええ、もっと」
貴方をください。
菊は腕を伸ばしてアルフレッドの首にすがりついた。
甘いものをあげる。
パンをあげる。
脱脂粉乳をあげる。
民主主義の夢をあげる。
きっと今の子供たちが育つ頃にはもう俺なしではいられなくなる。
だから―――俺だけを見て。
同じ陣営ではなくなった彼ではなく、俺を、俺だけを。
「キモチいいから、……俺が好きだよね?」
「ええ」
「言葉にして」
「好きです、貴方が」
何百回言わせれば本当になるのだろう。
一年に一回愛の言葉が交わされていたとしても、千回以上。想像すれば気が狂うほどの時間を彼らは共にした。
どれだけの力で抱きしめれば彼を心から追い出せるのだろう。
細胞の隅々にまで入り込んだ王の空気は、あの業火でも消せなかった匂いは、何を与えれば抜けるのだろう。
「英語での言い方を教えたよね?」
「I … I love you,… I need you…」
そうだよね、他に誰もいらないよね。
怖くて、まだそれを聞けない。
やっと今年、当用漢字字体表が発表され、日本独自の漢字字体が定まった。
―――こい という字は、いとしい いとしい と いう こころ、と書くのです。
そんなことを呟きながら遠く西に目をやる菊を、もう見なくてすむ。