春よ、恋

 

※ご注意
全くの友達、完全なヘテロからスタート。菊さんが若干壊れてます。全般にばかえろ話。
性的描写がありますのでご注意ください。


 

 

菊はもう長いこと他と情を交わしていないのだという。

 


なきゃないでいいものだな、と思ったんですよね。

外来の仏教思想を大義名分に、蛋白源とできるほど家畜を殖やすのをさぼったもので、米と大豆と野菜の組み合わせでおよその食事をまかなってきた、それが理由なのかどうか、もともと性欲は強くないのです。とはいえ、生きていればそれなりに経験も積みます。いえ、積んできました。かつては。
生きすぎて飽きた…枯れた? …とも考えてみたのですが、そんなこともあるまいと。私よりもはっきり長生きの王さんは、童顔に似合わず艶福家ですし。
しないならしなくてもいい、別に困ることもないだろうと思う一方で、自分がこうも淡泊なのが悪影響して少子化が進んでいるのかもと危惧もするのです。もしそれが事実ならば事態は深刻、だって私、100年後には3400万人にまで人口が減るらしいんです。多ければいいというものでもないですが、その四割が高齢者という事態の中で生産力その他が保てるかと言われれば自信がない。
そんなわけで、少し真剣に回春を画策したんです。

 

「ところが」
話を切って眉根を寄せた菊にアーサーは無言で続きを促した。

同盟時代を含めてさえもっとも良好な関係を持続している今、公式訪問のついでに、友人の!相談に!のってやることは、やぶさかでない、全然ない。少子高齢化、という問題提起なら対応策の是非を議論するのも有益だ。
しかしごくプライベートな、大変にプライベートな領域に思える話には、紳士を自認するものとしてどう対応していいのかわからない。
なんといっても、「友人に相談される」経験どころか「友人と下ネタ話をする」経験すら皆無に等しいのだ。

もっとも、心地よく清められた縁側の暖かい日だまりの中、柔らかな座布団と上等な緑茶をすすめておいて、いきなりこんな話を持ちかけるとは菊も友達づきあいにたけているとはいえない。

「……やり方を忘れてしまって」
「は?」
「ですから、どうするものだったかなと、その場で往生してしまいまして」
「わけがわからない」
「では憚りながら詳細に申し上げます。相手の方の服を脱がせて、抱きしめて、そのあと何をしたものかさっぱりわからなくなってしまったのです。少々焦れられたのか、手をとってご自分の胸に導かれましたので、ああ胸をさわるのだったかと形状に合わせてこぽんと置いて………もうわからない」
こぽん、と手をくぼませて、菊は首をかしげた。
「わからないのはお前だ。わかるわからないというより、自然に動くものだろう」
「その、自然の情動がかけらもわかなくて。苛立ったご様子の相手の方に急所を捕まれて、…さすがに口にするのをはばかられるような言葉を浴びせられ、間抜けに立ち尽くしたまま置き去りにされました」
「…おい」
「はい。さすがにこれは危機的状況なのではないかと、恥を忍んで、昔のよしみにおすがりして、ご相談しているのです。フランシスさんに『愛のことなら俺に聞け、エロのことなら坊ちゃんに』と言われまして、これはどちらかというと後者の問題かと」
「医者に行けよ」
「ED専門医も困るでしょう、さすがに。私たちの体はよくできた偽物でしかないのですから」
正論である。世に知られた回春薬も効きはすまい。
「俺だって、何もお前にしてやれることなんてないぞ?」
「……いえ」
「なんだ」
「アーサーさんなら、変態性欲のあれこれをご存じで、教えてくださるのではないかと」
「は、あ?だだだだ誰がそんなことをお前に吹き込んだ?」
「貴方のところの新聞くんが」
「い、いいいや違うぞあれは!いつもそういうのを読んでる訳じゃ!」
菊は身を乗り出して、がっしりと手をつかんだ。
「アーサーさん、お願いです、世界会議の前などに読んでらっしゃる雑誌から、ちょっとだけ知恵と情報とアイテムを貸してください」
「俺をエロ大使みたいに言うな−!」
みたい、ではない。そう言っている。
「お願いします。忘れかけてますけど、それなりに気持ちよかったような気もするんです。何より我が国の未来のために、お願いします!興奮できそうなマジカルアイテムを出してください」
「人をドラ○もんみたいに言うな!」
それは、確かに、そうではない。
「たとえばお前、車で興奮できないだろ?」
「は?…いえ、自動車工学は人気がありますし、F1も――違う話ですかもしかして元の話ですか興奮って性的興奮ですかまさか」
「おおおお前が持ちかけてきた話だろおおお?」
変態だからとアーサーをあてにしておきながら変態に引くのは卑怯である。菊はしゅんとした顔を見せた。
「すみません、わかりました師匠。なんでも虚心に聞きますので、初心者にもわかりやすいあたりからお願いします」
「師匠はやめろ。あと、とりあえず場所と時間を改めさせてくれ」
「ありがとうございます!」
菊は秋色めいてきた木々にも澄み渡る空気にも負けない爽やかな笑顔を向けた。

とりあえず自習しとけ、と英国内で用いられる性教育の本を大使館から届けさせ、ついでに手持ちの雑誌やらDVDやらをかき集めて、夜、菊の家を再訪した。
講習代にと菊が夕食を作った。そう何度もご相伴にあずかったことがあるわけではないが、相変わらずうまい。何度教えられてもアーサーの脳は記憶を拒否する料理のイロハ、そのレベルではない細やかな配慮が込められているんだろう。そういうマメさがあるのに。

自習の成果を問うたら、菊はこう答えた。「面倒なものですね」

「むしろ、だな」
話の内容が内容だけに、アーサーは酒を入れている。食事どきのワインから今はウィスキーにかえて、菊の寝室であぐらをかく。
菊はジャージに着替えて敷き布団の上に端座している。
「お前は実は相当いやらしいと思っていたが」
「そうなんですよねー。人の恋路を邪魔する意地悪な神様もいなかったので奔放にやってましたし、戦後も復興してしばらくまではいっそ周りの方々から罵られるほどに買ったりもしていたのですが」
「買うな売るな、恋をしろ」
「そーうなんですよねー」
「好みの女がいなくなったのか」
「好み自体変わりますから、そうとも言えないのですが…『大和撫子』は絶滅危惧種ですかねえ」
「なんだそれ」
菊は指を折って挙げた。
「控えめで、人を立てて、でも芯が強くて、華美ではなくて、でも凛とした美しさがあって」
「いねえな」
「三次元には」
はあ、とのため息が重なった。もちろん、意味は違う。
「お前、どう考えても原因はそれだろ。二次元で理想の権化を作り出して満足してるからもうナマの相手がいらないんだ」
「えー、あー…、そうでしょうか…」
「ナマの女には、画面や紙にはない体温と潤いがあるぞ?」
菊はずい、と体を近づけた。
「師匠」
「やめろっつうに」
「それが気持ち悪かった…って、終わってますか」
「終了。俺は帰る」
立ち上がりかけたアーサーの腕をひしとつかみ、菊はすがった。
「待って!」
「菊、友達であることは変わらないから。生暖かく見守ってやるからな」
「待ってください!切実なんです!日本人がいなくなるかもしれないんです」
「国籍取得による社会増は見込めるから心配すんな。単一民族幻想を捨てればいいだけだ」
「それはまた別の話で!助けてください、アーサーさん。こんな破廉恥なこと頼めるの貴方だけなんです」
「一単語抜かしてくれればすんげえうれしかっただろうな…」
ドアを見やるアーサーに、菊は両手を巻き付けた。アーサーは『生暖かい目』でその手をやんわりと外そうとする。
「少子化問題に関してだけは、純・社会保障問題として、フランシスと話し合った方が有益な気がする。百万に一つくらいしかなさそうだ、そういうことって。じゃ早速」
菊はアーサーの手を握りしめて、懇願した。
「お願いです、途方にくれているんです。だって二次元で発想するときだって当然あたたかくてしっとりしている肌を妄想して、そう見えるように描くんですよ?いいものに決まってるんです。それなのに、『うわあ、生身だ』と思ってしまったんです。ああ、どうしてあの方、この手のように堅くて冷たくなかったんでしょう。手は心を表すからでしょうか」
「おいコラ」
かちん、ときて振り返ったアーサーに菊はきょとんとした目を向ける。
「……我が国では、心の温かい人ほど手が冷たい、という俗説があるのですが……」
「…?…。ななななんだ、そうか、そういうことか――」
アーサー、デレる。世界に二人きりの同盟をくんでいた時代とは違い、お互いに友人は増えたが、アーサーの場合歴史的経緯が蔦のように茨のように絡み合っていて、ほかの誰からも、菊からのようにストレートに好意を表現されることがない。貴重な友人なのだ。
座り直し、手をつかんだままの菊の頭をぽんぽんとなでる。一国単位のGDPでは二倍の差をあけられている相手だが、うるうるの目で見上げられると子犬のようだ。相談事は老人のそれに近いけれども。
「悪かったな、真剣なんだよな」
「はい」
「…体温の低い女を捜したらいいんじゃないのか?しかもお前が動かなくても全部お任せでやってくれるような」
「さきほど、買うなとおっしゃったじゃないですか」
「うーん、まあ、そうなんだがなー。大人のお姉さんを見つけてドアの前に転がっててペットにしてもらうとか。そういうドラマをやってたんじゃなかったか?」
「あれは現代女性の心情に重きを置いた漫画ですから、私の参考にはならないでしょう。そもそも『体温の低い女性を見つけ』て部屋を探し当てる段階でストーカー規制法に引っかかりますよ。今いろいろ物騒ですし」
だいたい、私は大人です、と胸を張ろうとした菊の額をはじく。子犬みたいな顔で人にすがっておいて何を言う。
ちょっとタイム、とアーサーはウィスキーをもう一杯含んだ。
お前も飲め、とグラスを渡すと、いただきます、と素直に受け取る。
「紳士として口にするのも忌まわしい質問をするからな。素直に答えろよ。――勃たなかったのか?」
「はあ、まあ、その、…はい」
「その――自分ではどれくらいするんだ」
「えー…月に……」
また指を折り始めた菊に、もう一度「終了」と言いたくなる。月で数えるか。
「二次元でを含めてかまわないんだぞ?」
「はい、というか含めないとゼロに近いので」
「…終わってる…」
「師匠!」
ふるふる、と首を振る。
アーサーはため息をついた。アルコールで色々面倒になってきてるので席を立ちはしないが、できることなど何もないのではないか。
「――一応、AVはもってきたけど」
菊はケースを見て絶句した。
「…よく税関通りましたね」
「治外法権だろう、大使館と俺らは」
「そうですけど」
複雑な顔で菊はケースを眺め続ける。外交官特権とはこういうものを持ち込むためのものではない。
「一応、見せていただきますけど――無理そうな気がします」

そして二人並んで鑑賞会となった。
欧米のAVと日本のそれとには大きな違いがある。女性の声だ。鑑賞者が興奮するように作られたVTRの差は、そのまま性文化の差だ。「女性の興奮」とくくれば同じだが、言い換えれば別のものとなる。日本のAV女優は「乱される」。欧米のそれは「積極的に求める」。
アルコールのいい感じに入ったアーサーは折角のVを楽しむことにした。いきそうだったらトイレを借りればいい。ああ、いい胸だ。腰のくびれもそそる。キスも上手そうだ。あー、女抱きてえ。

一般に国は国民に好かれるから、アーサーも女に困ったことなどない。今も呼び出せば応じてくれるだろう女性が本国にいる。応じてくれなくてもまた調達すればいい。人はいつか死ぬし、恋はいつか終わる。そう割り切っているアーサーは、恋をしろなどと菊に説教する資格はない。…まあしかし、エロスの価値を説く資格は十分にある。

一回戦が終わったところで横目で菊をうかがうと、しらーっとした顔が目に入った。
「…無理か」
「ええ、たぶん。もともと、我が国で欧米もののが受ける理由って胸の大きさと規制の甘さなんですが、私最近貧乳萌ですし、性器なんてご神体としてあちこち転がってますし。――日本の最近のAVもそうですけど、ストーリー性が欠けてます。70年代のものははすごかった。文学でした、あれは」
「はあ」
としか言いようがない。
「やりゃあいいってもんじゃないでしょう、なぜやるか、なぜ求めるかが描かれて、その上でむき出しのエロスが描かれる。登場人物に感情移入するからこそ、見ていてA10神経が刺激されるわけです」
「感情移入できなかったか?」
俺は素直に男優に成り代わりたいと思ったが。首をかしげたアーサーの顔からちらと視線を下にずらしてまた戻し、菊は言った。
「お羨ましい」
「てめ」
「からかってないですよ。ほんとに。どうぞ、ここでなさって結構ですよ。私、画面見てますし」
はい、とティッシュボックスを渡される。紳士になんてことを、と思うが、手は心を裏切ってそれに伸びる。繰り返すが、アルコールが入っているので色々面倒なのだ。
菊は言葉通り画面に目を戻した。画面の中では、事後のバードキスが少しずつ深い口づけに変わり、舌を絡め合う音が大きくなっていきた。
何かのつぼに入ったのか、急に女優がびくん、と体をふるわせた。女性のその瞬間を見るのが好きなアーサーは、血流の強まりを下半身に感じた。
あー、もう、いっか。旅の恥はかき捨て?ていうかあいつもここまで恥ずかしいこと言ってんだし。
面倒さが紳士らしさを凌駕した瞬間だった。
それでもできるだけ菊に聞こえないように、金属音をおさえながらベルトを外し、ジッパーをおろした。抑えている筈のちちちち、という音が妙に耳につく。解放されて、先ほどから立ち上がっていたそれは直接の刺激を喜び、涙を吐いた。さすがに水音は恥ずかしいと、アーサーはリモコンで音量を上げ、女優の声に紛らわして息をつく。声の大きな女でよかった。ちくしょ、菊もやってれば別に恥ずかしくないのに。
そう思ってちらりと横を見ると、宣言通り画面を注視している菊は、しかし先ほどよりほんのり赤くなっている。
もしかして俺がやってるからかなあ、と思いはしたが、今更しまえない。すまん、さっさと終わらせる、と少し強めにこすれば、変な具合に力がかかって、思わず声が出てしまった。
「あっ…」
やべえ、とちらりと見ると、菊と目があった。
「おおおおお構いなく」
あわてて目をそらす菊。顔が赤い。アーサーもつられて頬が照る。
「お前もしろ、ばかあ!」
「ええええ?」
「赤信号みんなで渡れば怖くないって言うんだろうが!お前もすれば恥ずかしくないんだ!」
「えー…」
ふい、と顔を戻して、目を閉じて女優の声に集中する。隣でごそごそと気配がする。そうだ、それでこそ男の友情だ。
Oh、year、と快楽を告げる女性の声に混じって、菊の息づかいが聞こえてくる。ひそやかで、けれども甘いその吐息。なんでこんなにボリュームを上げているのに聞き分けてしまうんだ、俺の耳。あいつこんな風にのどを鳴らしたりするんだな、と、そんな情報ばかりが脳に届く。にちゃり、という微かな音を耳が捕まえ、興奮の針がぐいと高まる。かかか感じてんじゃねえか。やればできるじゃねえか。
アーサー自身はたしなむ程度だが、パブリックセックスというジャンルもある。己の性の公開は羞恥を通して快楽に結びつく。枯れました、なんて言っていた菊がアーサーの性行為で挑発されたならそれはそれでクるものがある。
薄く目を開いて菊を見ると、また目をそらされた。耳が赤い。見てたんだ。くく、とのどの奥で笑うと、菊の紅潮がいっそう増した。アルコールのせいで大胆になっていたアーサーは、前をもう少しくつろげて、見せつけるようにゆっくり手を動かした。興奮で大きくなっているそれは、上から下まで動かせば括れにあわせていやらしい音を長く奏でる。菊の目元を注視し、その反応を楽しむ。見られている、そうわかっている菊は、それでも抑えきれずにアーサーのたてる音に合わせて手を動かしてしまう。アーサーも思わず自身を握りしめてしまい、その衝撃に息をつくと、その吐息に反応して菊がびくんと体を震わせる。うわあ、クる。あ、イくわ、これ。
「くっ…」
「…あ…」
アーサーにわずかに遅れて、菊も息をついた。長引いているようで、目を閉じて衝撃波を受けている。小さく開いた唇が微かにわななく。
やべえ。
何がかはわからず、とにかくアーサーはそう思った。
「…」
「…」
しゅ、しゅ、とティッシュを抜く音が交互に続き、ぽてぽてとゴミ箱にそれが捨てられる音が響いた。
「あー、まー」
何か言わなければと焦り、アーサーはひとまずボリュームを落とした。AV自体の盛り上がりとは全然違うタイミングでいってしまったため、空気にあわない声が響いていたのだ。かといって無音にしてしまうのもやばい気がする。何がかはわからないが。
「な?気持ちよかっただろ?」
「はい、師匠」
「やめろっつうに。お前はとりあえず気持ちよさを思い出すことが先決だ。これ、気に入ったのなら無期限で貸してやる」
「――はい」
全く無意味な貸し借りだとお互いわかっていたが、それは伏せる。今日の出来事は、あくまで、仲良し男子二人がAV鑑賞会をしてついでに(仲良しだから)並んで自慰もやっちゃった、それだけだ。そういうことにする。
何度も繰り返すが、アルコールで面倒になっていたアーサーは、そういうことにしてしまうことに全力を挙げて、仲良しとして客間に用意された布団に潜り込んだ。

運命のいたずらなのか、その後、彼女――というよりはセフレ――の女性と会えないまま日々が過ぎた。女性の胸に顔を埋め、腰の括れに手を回していればまた話は違ったのかもしれないが、ともあれ二月ほどの間、アーサーの恋人は右手だった。紙で抜けないアーサーはいつものようにAVをおかずにする。しかし、手を機械的に動かしながら、アーサーの脳裏ではAVには出てこない人物の映像がちらちらうごめく。その微かな息づかいが耳腔をくすぐる。
やべえ。
そう頭の片隅で思いつつ、アーサーはその「やばさ」を無視した。

ロンドンで開かれた世界会議が終わった後、まじめな顔をした菊がすっと近寄ってきたとき、警戒警報が鳴らなかった訳ではない。しかし、危険なことほど惹かれるという法則もまたある。
「師匠」
この呼び方。これはやばいぞと警鐘が鳴る。
「もし、宜しければ、ほかのおすすめのものを見せていただけませんか」
ぎょっとして振り返る。お前、まじめな顔のままで何を言う。
「…問題の突破口が見えたような気がしなくもなくて」
「わわわわわかった、この後うちに寄ればいい。なんなら夕飯もごちそうしてやる」
「あ、いえ。いえいえ。講習代と言うことで私が作ります」
「なんだい、二人でデート?」
ぎょっとして振り返ればアルフレッドが爽やかな笑顔でたっていた。
「とんでもない、長い伝統を誇るアーサーさんに未来のために講習を受けているだけです」
「へえ、アーサーが先生?からかいがいがありそうだな、俺も聞いてていい?」
「いえいえ、お若いアルフレッドさんには縁のないことですよ。文化と継承に関わる話ですからね」
うげー、と横を向いたアルフレッドに「では失礼します」と頭を下げて菊はアーサーの背中を押した。物は言い様とはいえ、いけしゃあしゃあと。思わず頬を指でついてしまう。
まあいい、デートではないのだ。講習だ。未来のためだ。
だからいいのだ。
そして、また並んで鑑賞会をすることになった。

アーサーの寝室にはテレビはない。菊のために用意した客間のソファに腰掛け、照明を落とす。ストーリーがどうこうと言われたのを思い出し、多少展開のあるものを流した。菊はドラマを見るように眺めているが、アーサーにはつまらない。とっとと脱げ、そして挿れろ、と思う。つまらないから酒を飲む。一人で飲むのもつまらないから菊のショットグラスにも適宜つぐ。菊は画面に集中しているせいで、かぱ、かぱ、とつがれる度にあける。結果、やっとそのシーンになだれ込んだ時には、二人ともいい加減酔いが回っていた。
「あーさーさん…」
「なんだ」
「勃たなかったらどうしましょう」
「大丈夫だ、リラックスしろ。楽にしてやれ」
言うと、素直に前を広げる。アーサーも部屋着をずらしくつろげた。
「しました」
「さわってやれ」
「はい。まだちょっと柔らかいです」
「じゃあ無理するんじゃなくて、やさしくさすってやるといい。指を伸ばして、下の方も。気持ちいいか?」
言いながら、自分も同じように指を動かす。
「気持ちいいです…」
「少しもむようにしろ。どうだ」
「う、ん。気持ち、いいです…」
「だろう。ほら、画面でも女優がやってやってるだろう。同じように動かしてみろ」
そこで菊はとろんとした目をアーサーに向けた。
「くちで、いってください」
やっべええ。
警報がまた鳴ったが、無視をする。ここでとめられるかばか。
「指を、小指から順にたたんで、つかむんだ。そしたら中指で真ん中の筋をなぞる。そのまま、なで上げて、そのまま、そう、そのまま」
「あ、ん…」
菊は首をのけぞらした。アーサーの手の中のものがどくんと震える。
「爪を立ててみろ」
「カウパー腺液が出てきました」
なぜ専門用語を使う、もっと色気のある言い方があるだろ……と思ったところで首をふる。
色気あってどうする。
「動かしやすくなっただろ。それを塗り広げて、そう、そこの括れにも」
「あ!ん……」
また菊はびくりと震えた。
やべえやべえやべえ。
たくさんの大義名分で警報を押さえつけようとする。菊は、長年の、大切な友人なんだ。その彼の深刻な悩みを解消する手伝いをしているだけだ。それも、俺がやってるのはただVTRの実況解説でしかない。別に――俺が、菊にやってるわけではない。
自分が思ったことなのに、警報はよりいっそう響いた。
「う」
背筋をかけあがった衝撃に、アーサーはうめいた。
菊はその声に反応した。指示をまたず、手をゆっくり、次第にはやく上下させる。
「あ、ん、」
かすかにもらしたその声をやはりアーサーの耳は拾い、また手の中のものが重量を増す。
「せ、んせえ…」
なんちゅうことを言うんだばかあ!
「いって、いい、ですか…?」
「う、ん、俺も……」
あーだめだ。さすがにアーサーは観念した。最後の一藁は、間違いなくテレビ画面のこちら側のものだった。

 

それを心の中に認めたからといって、口に出すわけにはいかない。
菊言うところの「意地悪な神様」に長く禁じられていたこともあって、同性愛など思いもよらないまま人生を重ねてきた。だいたい、何をどうすればいいのかわからない。
その後も機会をつかまえては「講習会」は続いた。機会と言っても一ヶ月に二回あればいい方で、一月まるまるあくこともある。それでもあれだけ濃厚なエロ空気を発散していれば国民のセックスレスも減ったのではないかと思うほど、菊は大胆に振る舞うようになった。

大胆に、と言っても、接触しあうことはない。菊はただ自分で自分を煽り、慰める。
その菊に、触りてえ、と切実に思う。巨乳がないセックスなんて無意味だと思っていた自分に、戻れるなら戻りたい。
あの、象牙色の肌。それが原因だったでしょうかととぼけたことを言っていたが、生殖能力を落としたのは伝統的和食のせいではない(そーいえば、そればかりを食べていた頃の方がヤってましたね、と菊は笑った)。米と大豆と温帯湿潤気候が生み出したのは、あの汗さえ玉となって転がる絹のような肌だ。舌をすべらせればどんな味がするだろう。長く形のいい指が蠢く様を見れば、それが自分のものにのばされた時を妄想し、のけぞる首を見れば噛み痕を残したいと思う。
例の女とはいつしか音信不通になってしまった。「講習会」の頻度ではアーサーの熱は解消しきれず、いきおい一度の濃さが、興奮度が増してしまう。


菊は貴重な友人なのだ。もちろん、腐れ縁の隣人も、恩知らずの元弟も、「友人」と公式文書に書ける程度にはつながりがある。だけど、奴らが揶揄しかしない精神性を――たとえば伝統への愛着だとか、ノーブレスオブリゲーションだとかを菊とは共有している、と思う。だから、いいなあ、好きだなあ、と素直に思うことはもちろんあったのだ。それでも、大切な友人以上に思っていなかった、それは確かだ。華奢な体を心配したり、支えてやりたく思ったことはあるが、抱きしめたいと思ったことはない。……なかった。

 

そんなアーサーの交錯する思いに気づかないようで、菊は無邪気に「今日は私が教材をご用意しました」と言ってきた。いつものように食材を買い込んで菊の家に向かう。
精進料理にしてくれればこの衝動も鎮まるかもしれないのにと、菊がアーサーの好物、香辛料つきの肉を出すことにさえ恨めしさを感じてしまう。
「お口にあいませんか?」
眉をしかめているのに気づいた菊が不安そうに聞いていた。
「いや。もの、っすごく、うまい」
「…ありがとうございます」
菊は、ぱあっと顔を輝かせた。
ああもう、可愛いなあ、こいつ。
一度それに気づいてしまうと、それ以後は目に映る全てが愛らしく思える。フランシスの言うことを聞いておけばよかった――男も女も関係ないじゃん。まったくだ。百万に二つくらいしかないだろう賛同ポイントだ。

ディスカバーという言葉は、目の覆いを取り去るという意味だ。菊の言い方で言うなら、目はたくさんの鱗に覆われていて、世界の実相全てを映すことを拒んでいる。雑多な情報、たくさんの可能性を切り捨てるからこそ、迷い無く道を行ける。それこそが「神様」を信じる方法でもある。そして、足場を固め迷い無く世界を歩む方法でもある。

――恋の可能性などに気づかなかったからこそ、長く続く関係を信じられた。

 

何回か前の講習会から、菊の寝室には座椅子が二つ持ち込まれた。リラックスは快感を得る大事な要素だから、体を預けられる大型のそれは実に有効だった。暖かくなってきたこともあり、菊は寝間着をジャージから浴衣に替えていた。ソファと違い、座椅子は伸びた足の先まで見える。浴衣で自分を慰めようとすれば自然に内股までもが露わになる。見られていることに興奮していることはわかっていたから、アーサーは存分にその足を鑑賞した。いくときにその爪先が反っくり返り、ひくりと動くのも知っている。舐めてえ!いっそ囓りてえ!とそれを見る度アーサーは思った。
その座椅子に二人で並んで、サイドテーブルにアルコールを用意して、菊はHDDの再生ボタンを押した。口には出さないが、AV鑑賞はもう大義名分に過ぎない。流れてさえいればいい。
アーサーを変態性欲の権化扱いした菊だが、好みのマニアックさでは引けをとらない。コスプレはメジャーシーンに出る前からAVの主要ジャンルでしたと力説し、古典劇を愛するアーサーを少し悲しませたりした。スカトロやクラッシュにはノれないという重要な点で一致を見たので、後は適当にホスト側が選んだものに任せる。もっとも、日本女性は全般に顔が幼く、ロリペドにはいっそ嫌悪感を覚えるアーサーにはキビしいものもある。そのあたりは考慮してくれているらしい、けれども貧乳萌の菊が選ぶものはすらりとしたモデル体型の女優ものになりがちで、ますます前を見ていても横を見ていても変わらないという気にさせられる。

今日のスタートは物語性のあるものだったらしく、列車のシーンから始まって、温泉の風景と裸体が映し出され、なかなか叙情的に展開している。
「最近、ここのように近場の温泉がブームなのですけど」
「へえ。近くにあるなんて、日本の自然は起伏に富んでいていいな」
「ありがとうございます。……小綺麗な離れ型コテージが人気なんです」
「ん?」
「つまり……カップルで占有空間を楽しむのが」
「ああ!そうなのか。――効果あったんじゃないか?」
カップル、という言い方は日本では未婚を指すことが多いからいきなり少子化対策とはならないだろうが、何せ20代未婚男女間でさえセックス回数が目をむくほど低い国だ。
「そうですね…アーサーさんのおかげです。復活?」

はは、と菊は笑った。よかったな、これでもう。と言おうとして、言葉はアーサーの喉に絡まった。これでもう、なんだ。これで、晴れて女とのセックスを取り戻せるな。か?
面倒だ、と女性に声をかけることもさぼっていた菊だが、一般的に言って国は国民に好かれるものだから、その気になりさえすれば女性などすぐになびくだろう。絶滅危惧種・ヤマトナデシコだろうがなんだろうが。そして菊が好くような女なら、一夜だけを楽しむのではなくその後もずっと菊の隣にいるだろう。二人で、微笑みあって。二人で、手を取り合って。重なって。

――想像して、とても気分が悪くなった。アーサーはショットグラスをひっつかんであけた。

画面の中で、男は女の裾を割っている。忍び込んだ手が内股を露わにする。浴衣はそこが普通と違う。が、それだけだ。コスプレだろうが企画ものだろうが、バリエーションは始まる前まで、ことが開始してからは結局同じピストン運動。であれば、いつか、飽きる。飽きたからと人に冷たくするのはアーサーの趣味ではない。――されるのは、なおさら。だから、同じ相手とは飽きない程度しかセックスしない。それがアーサーの流儀だ。

菊には――冷たくするのも、されるのも、いやなのだ。

離れたく、ない。

「もし宜しかったら、今度行きませんか」
「え」
「温泉です。大浴場は個人用浴室よりずっと多くα波を出させるそうです。落ち着けますよ」
「――こういうことを」
アーサーは画面を指さした。自分のツンデレ気質は自覚している。吐き捨てるような口調にならないよう最大限注意して。
「したい奴といけよ」

そのための「講習会」なのだ。自分は回春の媒体に過ぎない。

「アーサーさん……」

すい、と手が伸ばされ、胸にあてられる。目を合わせれば、火照った頬の上の黒い瞳が震えていた。

「私とではおいやですか……?」

アーサーは、何かが切れる音を脳の中ではっきりと聞いた。
「いやなわけあるかばかあ!」
大義名分などかなぐりすてて、アーサーは菊に向き直った。そのまま正面に回り、菊の手を取る。
「ききき気持ち悪いか?」
「え?」
「俺の手は気持ち悪いかって言ってるんだ」
「いえ」
「よし」
手を開かせて、指を絡める。そうして下に縫い止めておいて、アーサーは顔を寄せた。
「唇は」
「――それはまだわかりません」
目を伏せた菊にアーサーは唇を重ねた。柔らかなその感触を楽しんで、舌でとじ目をなぞる。少しあいた隙間にそれをねじ込んで、アーサーは菊の口腔を蹂躙した。もう抑えられない。
歯列をなぞり、舌先をすりあわせて、唾液も吸い取って、長い長い時間の後、やっとアーサーは菊を解放した。はあ、はあと息をつく菊は、酸素不足に目が潤んでいる。
「――どうだった」
「と、ても…」
「とても、なんだ、言え」
「気持ちよかったです……」
きゅ、と菊の指に力が入る。くそう、可愛い。
照れてうつむいた菊の顔をあげさせ、もう一度口づける。軽く押しつけてそのまま離すと、え、というように唇が開く。そこに舌をいれてやると、さきほどは翻弄される一方だった菊が果敢にも挑戦してきた。世界一のプライドをかけて、応戦する。
顔を離せば菊の口から唾液が垂れた。それを親指でぬぐえば、解放された手でアーサーの服をつかむ。

「……ずっと、アーサーさんの手に、触られたくて……」
どく、とまた血が下腹部に集まり、体勢からそれが直接菊に伝わる。むしろ押しつけてやったら、菊はあ、と鳴いた。
「そう思い始めたら、すとん、と。『ああ、そうだったんだ』と思ったんです。あんなことを相談したのも、あんな姿をさらすことができたのも、リラックスして快感を得ることができたのも、全部アーサーさんだったからなんだな、と」
「そ、そこまで思うなら何で知らん顔で『講習会』なんて言い続けたんだよ!」
菊は困ったような微笑を浮かべた。
「――私はこれを恋と呼びかえるのにやぶさかではなかったのですが、そちらはどうなのかと迷ってしまって」

そうだ。

怯んだのは、アーサーの方だ。「意地悪な神様」のせいとは言えない。貴重な友人を失うことが怖くて、落ちそうな鱗を手で押さえてまで、あれは違うと言い張った。言い切ろうとして、だけど、欲しくて。他の誰にも譲りたくなくて。言い訳にしがみついた。

もういい、言い訳はもういらない。
二人を元の関係に安住させていた脚立など、きれいさっぱり捨ててやる。

「恋だとも、断言してやる。―――お前のためじゃない、俺がそうしたいからするんだ!」

菊は破顔した。
「その台詞、こんなにうれしく聞いたのは初めてです」

 

 


「…ところで、貴方との恋で、本当にわが国民の”生殖”は盛んになるのでしょうか?」

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