※ご注意
 	     ネタバレになるのでCP傾向を伏せています。
 	      
 	       
 	       
 	      「ようこそ、遠いところを」
 	        「遠かったです−」
 	        二つ結びの長い髪を揺らしてセーシェルは笑った。
          どうぞ、と上がり框を示され、裸足が好きなセーシェルは嬉嬉として靴を脱ぐ。その様子を日本は興味深そうに見ていた。
 	      当然互いに知ってはいるものの交友が深いとは言えない二国、大使さえ相手国には駐留できず隣国(中国、ケニア)に在住している。セーシェルはリゾート地として有名だから日本人観光客も行きはするのだが、如何せん、遠い。日本からの時間距離ではバリやハワイに勝ち目がない。しかし今回の相談事は観光業ではない。
 	      「ありがとうございます、日本さん。助かります」
 	        「いえ―――イギリスさんではないですが、私のためですから」
 	        「はい?」
 	        「――と、よく揶揄されるのです、私のODAは。日本のゼネコンのための発注だとね。でも今回のはそういうことではなくて。世界的な水産資源の保護と増産は日本喫緊の課題なんです。」
 	        中国さんにマグロ取られちゃってますしね…と国際流通構造の激変を嘆いて先を歩く日本は髪を揺らした。
 	        マヘ島漁港整備に関する政府開発援助がスタートし調整のために日本宅を訪れたセーシェルである。
 	        案内された畳敷きの和室が落ち着かずきょどきょどと辺りを見渡した。和室における上座・下座など知るべくもなく、しかしいかにも使い込んだ座布団は家主のものだろうと判断し、客用の座布団の上にぺたりと座る。
 	        「すみません、セイザってできないんです」
 	        「どうぞ、お楽になさってください。いつもでしたら洋風にした応接間にお通り頂くのですが、あいにく耐震工事のリフォーム中で」
 	        「じゃ、ここは私室なんですか。すっきりしてますね」
 	        「セーシェルさんちと比べてですか?」
 	        「いえ−、まあ、うちはすっきりというか何もないというか海さえあればというか。じゃなくて、眉毛野郎ですよ。去年、歳末片付け要員にかり出されたんですけど、エジプトさんとかから奪いくさったものが堂々と並べてあるし、肖像画だのなんだのもう、大!英!帝!国!!褒め称えろ、俺!って感じで、へっきえき」
 	        「はは…」
 	      あ、出た、あいまいな日本の微苦笑。わっかんねんだよどう思ってんのかが、と眉毛が嘆いていたのをセーシェルは思い出した。
 	      「そのくせ遅れた時計をそのままにしてるし」
 	        「時計――ですか。イギリスさんはそういうことには厳密そうですが」
 	        「あ、いやちゃんと正しい時計もあったんですけど。がくーっと遅れてたのが別にあって。『直しますか−?』って聞いたんですけど、『それはいい』って――」
 	      セーシェルの言葉は次第に勢いを失った。
 	        日本の「微苦笑」から「笑」が落ち、さらには「微」も落ちたからだ。
 	      「――うちにも、あります」
 	      日本は、セーシェルの後ろを指さした。振り返ると、確かに壁掛け時計があった。入り口から見て正面、今は真横だが、目立つところに柱時計があったので気がつかなかった。確かにそれとは指す時刻が違っている。
 	      「同じものです」
 	      「へ?いや、あっちのはこういうフォルムじゃなかったし………そう、5時間は遅れてましたよ」
 	        「でしょう?」
 	        「でしょうっていうかー、これは1時間遅れじゃないですか」
 	        「いえ、13時間遅れなんですよ」
 	      そこまで言われて、やっとセーシェルも気がついた。
 	        日本から−13時間。ロンドンから−5時間。ともに、NY時間を指している。
 	      座布団は向きを持たない。テレビやゲームは真横の位置、柱時計の隣にあるのだからそちらがいつもの「正対」かもしれない。けれども、座卓に向かったとき、日本の目に映るのは、この時計。
 	      モノが同じ、ではない。けれども―――「同じもの」なのだ。
 	      「アメリカさんには言わないでくださいね」
 	        「え?あいつに掛けさせられてるんじゃないんですか」
 	        「違うんです、だから、知られたくないんです。――たぶん、イギリスさんもそうだろうと」
 	      少女はがりがりと後頭部をかいた。
 	        「なんか、ややっこしいんですね、大人って」
 	        日本はまた例の微苦笑を顔面に浮かべた。
 	      セーシェルはその手を滑らせて首を撫でる。今は何もつけていないその首。眉毛につけられた赤い首輪は引きちぎることができた。モノだったから。だけど、形のない首輪は、しかも自ら嵌めたそれは、外すことができるんだろうか?
 	      眉根が寄ってしまう。難しく考えることが得意ではないのだ。
 	      そう、難しく考えることばかりが得策ではない。
          
 	      「―――例の漁港ができたときには、視察名目で遊びに来て下さい。一日ぼーっと海岸で過ごすとリフレッシュになりますよ。……売り込み、売り込み」
 	        セーシェルは日本のトラディッショナルカルチャー・モミテをして言った。
 	      時計の存在自体を忘れてしまうということも可能なんですよとさりげなく伝えたセーシェルに、日本も伝統文化「越後屋そちも悪よのう」で返しつつ、「微」でも「苦」でもない笑みを浮かべた。