王耀・'30

 

※ご注意※

[シリーズ共通]
・オリジナルキャラが絡みます。
・「それ」は人に擬態していますが、人ではありません(国でもありません)。
・「それ」は宿主に寄生し、宿主から生体エネルギーを吸い取って生きながらえます。
・「それ」の正体は各話で違います。
・時代ネタ(史実)が混じります。概ね黒くて後味悪いです。

[本作]
英中の1830年代と日中の1930年代、黒いです。英×中ぽい表現があります。

以上ご了解の上お読みいただけるならスクロールをお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・5 2 1・・・・・・・・・・南京より東京へ打電

お前を知っている。

そういうと、幼子に不似合いな感情の映らない黒い瞳が笑んだように細められた。紅葉のような手がゆっくりと耀の太腿に伸ばされる。すり寄せられる頬。耀が手を落とせば、ちょうど黒髪の上に乗る。

知っている。

今度は違う意味で耀は思った。
この背たけを知っている。この弾力を知っている。この暖かさも。

菊。我喜愛的弟弟。他已経変化。

そう思った耀を、幼い菊の姿(なり)をした「それ」は見上げて、笑った。

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遙か昔、ヨンスが菊に仏像をやったとき、末弟は「きらきらしている」と言ったという。その素朴なものいいに兄二人は苦笑のふりで頬をゆるめたものだった。

だけど、そう、耀も金色には弱い。赤も好きだが、きらりと光を受けて光る金には思考力を奪われる。
だから、彼を遠ざけた。握手を求められれば三跪九叩頭の礼を強いた。パックス・ブリタニカを自負するプライドの高い彼が、憤然として去ればいいと思った。あの金色の髪を床にすりつけ、それでも顔を上げられたら、きっと耀は頷いてしまう。

もう何千年も、耀は中華世界の中心として君臨してきた。泰西ではローマ世界という”とけ合い”が崩れ、「国」は自らの輪郭をかたどることにやっきになっている。そんな世界観を東亜に持ち込ませるわけにはいかない。私はお前達と同格の「nation」などではないのだ。
危険だ、彼は。そばに来させてはいけない。

そう思ったのに、結局手への接吻を許すことになった。跪いた彼は耀の手を取り、儀礼的に口づけたあと、その手をきゅっと握って、こちらを見上げた。翡翠の目に捕食者の影が走る。ああ、もうとらわれているのだと耀は悟った。

「それ」に会ったのはその少し後だ。

泥沼の体を示す上司達の腐敗と乱脈とにこめかみを押さえつつ寝所に戻った耀は、ばたん、と寝台に倒れ込んだ。結んでいた髪をほどき、乱雑に脇机に紐を投げる。
そんなことをしている場合ではない。洋人たちはやすやすと政府高官の懐に食い込んだ。機械文明の暴力が職人から仕事を奪うのは目に見えている。世界は自分に襲いかかろうとしている。
耀は手の甲を目に当てた。瞼の裏がちかちかする。

長く生きすぎた、ああもう

「………疲れたある」

言わないよう自制しているその言葉をもらしてしまった耀は、起き上がって周りを見渡した。聞かれてはいけない、こんな言葉は。「人」には、絶対。

そう焦る耀の目に、あの、きらきらの髪が映った。

「お前……」
どうしてここに。洋人が入れるはずもない宮廷の奥の奥に。そんな疑問を持つ前に、耀は安堵した。「人」には聞かれなかった。

「それ」は微笑んだ。翡翠の目が細められる。その上のまつ毛も、その上の並より太い眉毛も、なんて綺麗な金色だろうと、近づいてくるそれを見ながら耀は思った。
彼がここにいてはいけないのだと、意識の片隅ではっきりと悟りながらも、耀は目の緊張を緩めた。いつの間に靴を脱いだのか、「それ」が寝台にあがったせいで小さな軋み音がした。
「それ」は耀のほどかれた黒髪を取り、きゅっと握って口づけた。耀も手を伸ばした。指の間を、癖のあるきんいろの髪が通り抜ける。

この髪を。

引っこ抜かなければならないのだと思いながら、耀はその光の反射に溺れた。

・・・・・・・・・・5 2 1・・・・・・・・・・南京より東京へ打電

いくら家族だ一体だと言い張っても、違う個体なのだから当然差は出てしまう。あれだけ近くにいて常に手綱を引いていたヨンスでさえ、自分だけの文字を作った。まして海を挟んだ菊は。
最初の頃は「お兄様と同じ発音を」とこちらが読み方を変えてしまった字さえ古風に読んだり、そのくせ新しい読み方も採り入れたりと尊重ぶりを見せてくれていたが、今はもう、「外」国語とよび、意識もしない。
1,2,3と読んで教えた、あの頃をもう菊は覚えていないだろう。

・・・・・・・・・・うー ある いー・・・・・・・・・・南京より東京へ打電

お前を、知っている。

知っているとも、お前は菊じゃない。分かっているのに、アーサーの形代(かたしろ)にもできなかったように、やはり耀は、「それ」の髪を掴んで引きはがすことができない。
それでも頭皮にくいこむ耀の指に、「それ」はきゅっと眉をしかめてますます足にしがみついた。大人になってからは触る機会などなかった、そんなことをすれば外交問題になってしまう、けれどもずっと耀は菊の髪がさらさらと流れるのを見ていた。絹のようだったあの頃、そのままの髪。
そんなところまで菊に似せた「それ」は、掴んだところから耀の足を萎えさせる。吸い取られているのだ。きんいろの髪をした「それ」が耀の腰を砕いたのと同様に。

菊との睨み合いに荒む心を、この幼子のなりをした「それ」は、今確かに慰めている。握りしめた拳をほどかせ、日向ぼっこのような午睡に誘う。
あの隠微な寝台の上でのとはまた違う、けれどもどちらも確かに優しいねむりだった。疲れた耀の心をほどいていく。

だけど、慰められてはいけないのだと、耀は分かっている。引きはがすのだ。それこそが菊への愛だ。

「それ」は可愛らしい花から生まれ、摘み取った人の姿をしてやってくる。
「それ」は厳しい現実を忘れさせ、優しい夢に人を誘う。

だが菊、我は「それ」の見せる甘い夢はもう要らない。

大英帝国にはただの市場と見なされていたことも、尊敬のまなざしを末弟が捨てたことも。
知っている、分かっている。

だから、これは冒された脳で打っているのではない。
お前と我がおなじことばをもう持たないことをはっきりと認識しつつ、いらえがないことも、それどころか通じさえしないだろうことを覚悟しつつ、それでも我はお前に伝える。

来るがいい、ここまで。

5億の力であばらが折れるほど抱きしめてやる。

それこそが、お前への。

・・・・・・・・・・うぉー あい にー・・・・・・・・・・重慶より東京へ打電

 

 


 

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