本田菊・'80

 

※ご注意※

[シリーズ共通]
・オリジナルキャラが絡みます。
・「それ」は人に擬態していますが、人ではありません(国でもありません)。
・「それ」は宿主に寄生し、宿主から生体エネルギーを吸い取って生きながらえます。
・「それ」の正体は各話で違います。
・時代ネタ(史実)が混じります。概ね黒くて後味悪いです。

[本作]
「本田×オリジナルキャラ(女)」ぽい表現があります。

以上ご了解の上お読みいただけるならスクロールをお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数年前にフェリシアーノ達が加わり7人となった先進国会議の帰り、本田菊はアーサー家でのお茶に誘われた。

「アフタヌーン・ティーといえば、先頃、うちでその名を冠した飲料が売り出されたのですよ。ペットボトルなのが斬新で、とても人気です」

本田の兄・王がそうであるように、茶を入れる手順をも愛するアーサーは眉をしかめ(菊だって手順にこだわることもあるが、精神修養としての茶と日常飲料の茶を完全に切り離していることを知っている)、しかし紳士的に口をつぐんだ。代わりにアルフレッドが盛大に眉根を寄せる。

「なんで紅茶なんてわざわざ買うんだ。コーラでいいだろ」
「コーラも、勿論買わせていただいてますよ。ただ、自動販売機の標準である350mmでは多すぎるように感じる方が多いらしくて。今清涼飲料水業界は烏龍茶から緑茶まで、お茶ブームなんです」
「350mmのどこが多いんだい」
「……そちらとは体格が違いますから」

あんな砂糖水そんなに飲めるかすっとこどっこい、と言いたいだろうに言葉を選ぶ菊に、アーサーは賞賛のまなざしを送った。
でも紅茶の工業製品化は頂けない。王とは違ってアーサーは茶葉を育てていないから、それがブームになったところで輸出で稼げるわけでもないのだ。でもマリアの肖像が普及し自身のイメージアップに寄与はするだろうから反論もしにくい…思わず渋い顔になったアーサーを横目に、アルフレッドはばふんとソファにもたれこんだ。

「あー、色んな業界が活気づいてていいなあ、菊んとこは」

菊はびくりと肩をすくめた。ウルグアイ・ラウンドで相当虐められているのだ。このままでは一般農家は切り捨てるしかない。それもいいか、もう少しすればきっと王さんからものが自由に買えるようになる。数年アルフレッドから買い付けて徐々にシフトしていけばコストを最小に押さえ、スマートに産業構造の転換ができる。

国際分業。買えばいいのだ。

ふう、紅茶の表面を吹くふりをして菊は息をついた。

こんな風に、考える日が来るなんて。
あの頃は思いもしなかった。
―――そういえば。

「あの……トーリスさんは、お元気ですか」

日本史において「あの頃」と回顧されるポイントはいくつかあるが、菊が思い出したのは、世界に対して消費者として振る舞うことなど想像もできなかった時期、
―――労働力の最下層の売り手として世界中に散った時期。

ドミニカ、サンパウロ、ハワイ、ロサンゼルス。

同じ頃アルフレッドのところに出稼ぎに来ていたトーリスはその気立ての良さからアルフレッドに大層気に入られ、彼の胡乱なお友達にも紹介されて仲良くなっていたようだが、菊の側は「黄禍」と呼ばれ、排日移民法さえ叩き付けられた。少々複雑な思いも持つ相手なのである。

何気なく尋ねた菊に、兄弟は黙り込んだ。

「元気だと、いいね…」

ぽとりと落とされた声に、三人は振り返った。
「「「誰?」?」です?」
「マシューだよ……最初からいたよ……」

 

そうは言っても、菊はトーリス自身を疎ましく感じたことなどない。あの細やかさと謙虚さはかねてより菊が好むところだ。大和撫子という言葉を、トーリスは、そして彼の友であるアルフレッドもイヴァンも知るまいが、トーリスにはそれに通じるところがある。
「あちらは、男性ですけどね」
言いながら、自宅の引き戸をからりと開ける。

「お帰りなさい、菊さん」
「ただいま」
思わず頬がゆるむ。世界の誰にも秘密にしているけれども、菊にはここ数年、家で帰りを待つ人がいるのだ。

「長旅、お疲れ様でした。お風呂沸かしてあります」
しかも、大和撫子そのままの。
「ありがとうございます、いただきます」

どうやって帰りの時刻を知ったのか好みぴったりの温度の風呂を堪能し、浴衣に着替えた菊を待っていたのは山盛りの料理だった。
「いつもありがとうございます」
「いいえ、下心がありますから」

口を隠してくすり、と笑う。下心、などと露悪的に表現されたのは、エネルギー交換の約束のことだ。かわいらしいものだ。「セッ…(菊の頭はそれを言語化することを躊躇った)スしよ!」とオープンに言う女性が漫画に登場するご時世だというのに。

好景気にあかせて旅行も多くなった、欧米の有名レストランの出店も増えてきた。だから随分洋食にもなれた。これぐらいのくどさはなんともない。油分にもカロリーにも負けない胃腸が、成長の証のような気さえする。お腹がすいた、という感覚は忘れてしまった。食べたいから食べる、食べること自体が楽しみだから、食べる。アルフレッドがチップス類を食べ続ける気持ちが、最近の菊は、少しだけ分かる。

大量の料理を腹に収めて、手を差し出す。腹がもたれる。早く吸い取ってほしい。

そっと重なる手。
すう、と体が軽くなるのが分かる。同時に頭の奥から靄が立ちこめてくる気がする。

「なんだか…不思議なんです」
「何がですか?」
吸い取りを続けながら彼女が聞く。

「この時間のことを、後からあんまり思い出せないんですよ。色々お話している気がするんですけどねえ」
「お気づきでしたか。私……色々と突然変異らしいんです。私の種族はヒトからしかエネルギーを奪えないはずなのに、私はヒトに擬態した国からしかそれができない。そして、仲間は『吸い取り』の潤滑剤として『快楽』を与えることができるのですが、私は『忘却』を与えてしまうらしいのです。……私は、いつも忘れられる」

いつも、という言葉に菊は驚いた。そんなに何人にも「忘れられ」てきたのか―――そんなに何人にも、自分の前に、寄り添って、きたのか。

「あなたは、そんなに長く生きているのですか」
「そうですね…アルフレッドさんと同じくらいでしょうか」
「そんなに」
そんなに生きていれば、増えた今でさえ200と仲間のいない我々のこと、話題に出そうなものなのに。なるほど、彼女のことは忘れてしまうらしい。

「私の前にはどなたの…?」
「色々と。菊さんのお友達のところには大体行きました。ちょうどトーリスさんや菊さんと同じ頃に、アルフレッドさんのところにも」
「え」
菊は面食らった。彼と、女性の好みが同じとはとうてい思えない。
疑問が伝わったのか、彼女は小さく笑った。
「あの人は、『言うことを素直に聞いてくれる人』もお好きなんですよ」
「……ああ」
それは、わかる。
「そして、そんな相手にはよくして下さる。それも、ご存じでしょう?」
もちろん、彼の思う方法で、だが。とはいえ、特に戦後復興期、彼が菊のために財布を開いた回数はかなりのものだ。

貞淑で可憐――そんな伴侶を希望するなら、男にはそれに見合う胆力と財力が求められる。華でいさせるためには金がいるのだ。

「彼は――たくましいですからね。特にあの頃は羽振りが良かった」
くすり、と彼女は笑う。
「ええ」

「貴方がいたから、なのかな」
守るひとがいたらがんばれる、というのは古典的な構図だ。彼の昔の恋人とは知らず、がんばっていた自分が少し寂しいが。

「そうとも、言えますね。

――だって私があちらを去ったすぐ後に世界恐慌でしたものね」

菊はぎょっとして手を引こうとした。しかし、靄にかすんだ脳は運動野への命令をとめてしまった。

「……あなたは」

「悪意はないんですよ。私は単に、あなた方のエネルギーを頂くだけの存在。ですけど、エネルギーを頂くためには食べて頂かなきゃいけない。フォアグラのように食べて食べて、その分を吸われることになれていると、私が去った後も余計に食べる癖が抜けない方が多いらしくて、ちょっと、戻される方も多いのですよね……」

「待ってください」

未曾有の好景気。人は「バブル」と呼んでいる。早晩崩壊することを示唆されているこの景気は、私のこの食欲のことなのか。

では。
では、私も、彼のように。

「大丈夫、まだしばらくここにいます。大丈夫です、今日の会話も明日になれば忘れます。私が去った後は私の存在自体を忘れます。だから安心して、――目を閉じて、踊って」


 


もともとは石持浅海さんのミステリとのダブルパロなのですが設定をいじりすぎて原形をとどめていません。

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