露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は、花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。(方丈記)
大陸の端で、いくつもの王朝の盛衰を見てきた。勇壮たる漢、華麗なる唐、意気軒昂な朝鮮王国。易姓革命を是とする東亜において、鮮血をもって生まれ変わる王朝交代はむしろ必然だった。
そうして呼ばれる名を変えつつも、彼は、彼らはずっとその形で存在していた。中華は、厳然と中華だった。朝鮮はどこまでも朝鮮だった。
一方、遠く音に聞いていた「くに」がいずくともなく去ったとも聞いた。突厥(テユルク)、波斯(ペルシア)、希伯来(ヘブライ)王国。直接顔を合わせることはなく、幼い私の耳の中にのみ訪れて、息づき、消えていった「くに」たちへの憧憬は、死産したまま、正倉院によすがを残すのみとなっている。そうした「くに」が生きた大地には、若い血が新たな集団を作ってきた。
わたしたち「くに」は、常に実存と幻想の狭間にある。あるとも言えるしないとも言える。星のように地のように「在る」ことはなく、しかし夢のように幻のように掴めないわけではない。同義反復めくがこう言うしかない――在る方がいいと思う人が多ければ在りうるし、誰もがないと言えば在ることはできない。
昨日、日本国はないことになった。
引きこもっていた数百年だの、その前の群雄割拠百年だの、考えてみれば若干実感とずれるわけだが、改めて考えるにその方が都合が良かったので、「ずっと『日本』だった」ことにした、それが維新の頃。その時に「国」と「政権」を分離させていたなら、或いは隣国のように仙人扱いで生きながらえたのかもしれない。もっとも列島内で起こった有為転変を「王朝交代」とは言いがたいから、今更「くに」と「国」について定義をし直すわけにもいかない。「中華人民共和国」を受け流し気味の王さんとは違い、私は「大」や「帝」が付こうが付くまいが、「日本」であり、そう認識されてきた。
一方、他国の一部となるには私は大きすぎた。人口といい、経済規模といい。域内不均衡は不統一のもとである。私が警戒されるのは理の当然だった。折しも道州制への移行が完了し、地方中枢都市を抱える都道府県が各ブロックの顔となりつつあった。であれば話は簡単、「日本」という単位は無くて良い、彼らが「国」の次の単位となればいい。二十一世紀に入った頃、こうして多くのまちが消えていったこと、更に言えば二十世紀を迎える頃多くのむらが消えていったことを思い出す。市町村合併では旧名を番地として残したところが多かったが、「日本」の名は残しどころがない。
こうして、日本列島という実体と、その上にある日本民族を主体とする複数エスニックグループの人民と、日本語とを実態としたまま、私だけが居場所を失った。
スチュワート朝におけるジェームズ二世からメアリー二世夫婦への政権委譲クーデターをグロリアスレヴォリューションと呼び、チェコスロバキアの共産党一党支配の打破をジェントルレボリューション、またはヴェルヴェットレボリューションと呼び慣わしている。
であれば後世、「これ」は何と呼ばれるのだろう。
名誉革命のように、無血と呼ばれながら実は戦乱があったということもない。ビロード革命のように、凄惨極まる他国と比較しての言でもない。それはもう、禅譲としか言いようのない穏やかな変革だった。アメリカへの主権委託を日本国民の代表機関である国会が発議し、国民が是とした。アメリカ議会も受け入れた。円満裡に日本列島はアメリカに編入した。アメリカには九つの州と一つの特別行政地区が誕生し、ただ、国旗のデザイナーを悩ませた。
世界は超経済大国の出現を警戒したが、合意形成がガラス張りで示される展開に干渉の余地を見いだせなかった。
私は常に一般意志に従い、そうであることを他国に向けて随時表明した。騙されているのでも強制されているのでもない、禅譲と見せかけた簒奪ではない、メリット・デメリットを十分論議した上で国民がそれを選んだのだから――そう言われてなお反対できる国は、民主主義を人類共通の原理とする現代、あり得ない。
だから、ビロードどころではない、足が沈み込む赤絨毯を歩くように静かに、穏やかに、私は国であることをやめた。世界から放逐されるのは私だけでいい。
神、空にしろしめす
すべて世は、事もなし(春の朝)
当然ながら、その日までは手続きに関連行事にと忙殺された。主権を委譲する相手であるからアメリカへは何度も足を運び、長く泊まりもした。彼は事務的態度に終止し、私も余分な感情を排してことにあたった。
だから、ものごとの理解が一致していたかどうかは分からない。摺り合わせる必要も特に感じないまま、私達は時のねじを淡々と巻いた。
もしかしたら、この人は分かっていないのかもしれない――はたとそんなことに思い至ったのは、「その日」の前日、ぽんと肩を叩かれた時だった。今日はゆっくり休みなよ。そう言って、彼はぱちりとウィンクした。
「また明日から、大変だからね」
それはやっぱり、多少は大変だろうなあ、と見上げながらぼんやり思った。何より、直接この人の相手をすることになる道州の彼らが。「面識がある」程度だったり、私との板挟みで立ち回った経験があったりと、濃淡はそれぞれだけれども、誰しもこれまでとは比べものにならないくらい振り回されるのだろう。私がそうであったように――…いや、むしろ大切にされるかもしれない。彼の国是は歴史を通して国民第一、その国民になるのだから。
ぼんやりと考えながら見上げ続けていると、ふいと口を尖らせて、幼さを顔面によぎらせた。
「宜しくなんだぞ」
「……」
あれ、と思っている間にアメリカさんは勝手に私の手を取り、きゅっと握りしめて退出した。握手だったのだろう、掴まれた手をしばらく見つめ、私は瞬いた。もしかして、「明日から大変だから」「ゆっくり休みなよ」と接続するのだろうか。だとするなら、彼の言において大変なのは、そして宜しくするのは、私なのだろうか。
少しだけ痺れたような熱いようなじんわりが手に残っている。私はその手を中空に浮かしたまま閉まった扉の先を見つめた。
丁寧にすすめられたこの吸収合併について、彼は全てを知っている筈だし、事実、どの会議でも真面目に参加していた。ハンバーガーもシェークも持ち込まず、気をそらすことも非現実的なことを言うこともなく。物事の経緯からあくまで受け身、日本がそう言ってくるから受諾するという立場を崩さなかったが、熱意があったとさえ言っていい。だから、政治的単位としての「日本」の消滅を、彼がもし分かっていないなら、それは誰のせいでもない、ひとえに彼の認識不足のせいだ。
仕方ない。私はため息をつき、冷えた手をおろした。
流石に、最期の挨拶くらいはしたかったけれども――そういう気張ったシチュエーションは苦手だから、かえって良かったとも言える。
でももし一言告げられたなら、何を言っていただろう。
彼がいるつもりで、誰もいない空間に向けてまず頭だけ下げてみる。私は体を折ったまま、目も閉じたまま口を開き――音を発しないまま、閉じた。
人の姿をとっているからこそ、どんな日でもこなすべき日常がある。私には家があり、飼い犬がいる。いつものように掃除をして、ご飯を出して、自分も焼いた鮭を食べた。風呂に入り、布団をしいて、横たわる。
かのローマ帝国が人知れず消えた、その前、彼はどのように日を過ごしただろう。いつものように食事と酒と風呂とそして女性とを楽しんだのではないか。そう考えて、寝返りをうつ。違う。彼には多分、「前の日」は無かった。少しずつ少しずつ、その輪郭は溶けていったのだろう。そして「前の日」を持ったいくつかの国は、布団の上でそれを迎えられなかった。民族が全て死に絶えて、だから消滅した国もある。最後の一人が流浪の旅へでるのを見送った国もあるのだ。
私は幸せだ。そう呟いてみる。
何より、先の心配が無い。できるだけ状況は整えたし、世界は過去とは比べものにならないくらい人に優しい。天が王を選ぶのではない、人が代表を選ぶのでもない、人が国を選ぶ。そんなことが可能だとは、いや、そんな構想自体、これまで誰も思いもつかなかった。
現・日本国民は、日本国憲法と合衆国憲法が保障する人権の最小公倍数を認められた。理想的な結婚と評されたこの政権委譲は、誰をも不幸にしない。
もちろん、私も。
ふと壁時計に目をやると、驚くほど時間がたっていた。やはり寝酒の一つも飲めば良かったか、いっそ一人だけで慰労の宴を催しても良かったかと、冷蔵庫の大吟醸を思う。
けれども結局布団から出なかった。酒なら明日飲めばいい。